実際に脳機能(自意識)を維持して蘇生できる可能性の低い人体冷凍保存(クライオニクス)に1000万以上のお金を支払う人もいる事を考えると、『不老不死の夢』は科学技術依存の形で古代王のミイラ・巨大陵墓から続いているのだろう。
頭部940万円、全身1760万円 人体冷凍保存で未来蘇生目指す
人間は死ぬからこそ価値があるのだというのは、『変更不可能な現実』から運命として帰納され納得されたものだから(どっちにしても最後は死ぬ以外の選択がなく選べる立場にない)、『技術的に不老不死(健康な超長寿)が可能な新たな現実』が生まれれば、人間は終わりがあるから尊いという『現時点における標準倫理』が急変する事は有り得る。
未読だが、森博嗣の小説シリーズ(『彼女は一人で歩くのか?』からのWシリーズ)が、人類が遺伝子操作と人工細胞移植(全臓器・組織を交換可能な生命工学応用のサイボーグ化)の科学技術によって『超長寿化した近未来世界』を描いたSFのようだ。死なない細胞交換の超長寿化で生殖機能が段階的に失われたとの想定である。
秦の始皇帝やエジプトのファラオなどの古代の権力者の抱いた『不老不死・超長寿化の夢』は、『現在の権勢を永続化する快楽主義・支配欲求』が前面にでているが、現代人の超長寿化の科学技術的な野心には『人類・地球の時間軸における歴史観察(結果・仕組みを見る)』のようなメタな普遍的認知(私の度外視)が含まれる。
宇宙とは何なのかは何万年生きても分からない究極の謎だろうが、人類がどこから来てどこに行くのか、人類の生物学的な形態と機能はまだ進化するのか、人類の科学技術はどこまで進歩できるか後退するのかなど、『有限の人生』と『延長された人生』の間に知りたい欲求を持つ事は、頭と体が健康なら自然の趨勢でもある。
標準倫理の変化では、再生医療や遺伝子操作などで平均寿命が200歳まで延ばせるようになり、お金がなければ今まで通り60~90代で死ぬとなると、『寿命格差(若い時期の長さの差)』は自然の運命だから仕方ないだけでは済まない大衆の不満(安全な技術で可能なら皆が利用できるべき)になる恐れはある。