資本主義と共産主義のイデオロギー闘争は『自由・個人の原理』と『平等・共同体の原理』の闘争でもあったが、競争力・豊かさと文化の洗練、プライバシー(ムラ・家からの解放)によって資本主義が勝利した。だが成長と流動性が止まると、資本・既得権・競争力を持たない層にとって資本主義の副作用や企業の強制が苦となる。
日本は高度成長期以後は、ムラ・家から解放された資産・既得権・学歴のない労働者の勤勉かつ献身的な労働によって成長率を高めた。『成功した社会主義』とも言われた日本の経済社会を支えたのは社員を解雇せず年功賃金で処遇した『企業』である。企業はムラ・家の相互扶助を失った現代人にとって擬似共同体機能を提供した。
資本主義でありつつ、多くの日本人はある程度の企業・組織に所属している限りは『個人単位の競争原理』を回避して『中流階級の所得水準・年金額の保証』がある成功した社会主義要素に守られた。資本主義が企業の共同体性を侵食し、企業労働に人生の大部分を捧げたくない人が出るにつれ、バラバラの個人の相対格差も開いたが。
『自由原理・個人主義』と『平等原理・集団主義』との矛盾なき両立は元々困難だ。日本の企業の多くは創業家が実質オーナーであるファミリー企業で、終身雇用・年功賃金の恩恵が失われれば(非正規・昇給なしだと)日本で個人で中流階層の収入・生活を維持できる層は薄い。生産手段の所有権の偏りは格差・階層とつながる。
ファミリー企業・ポストや財産の世襲は、一面では確かに『格差・階層の原因』であり、持つものと持たざるものとの決定的な差だが、視点を変えれば『企業の長期存続・長期経営戦略・雇用保護(家族主義)』においては世襲の同族企業のほうが『自分たちの会社の事業・名前・社員・理念を守る動機づけ』は格段に強くなる。
ファミリー企業(創業家が社長・オーナー)の経営者インタビューでは、自分や祖先が築いて拡大した企業の運営を『子孫か血縁者』に世襲で引き継いでもらいたい意見が多く、その血縁者に経営者としての才覚・経験・意欲があれば企業幹部もむしろ争わず積極的にバックアップした方が会社に有利になるの考えの人は多いようだ。
日本最大の企業トヨタからして、豊田家が大株主で代表取締役を送るファミリー企業の拡大版で、海外も含めて大企業には『創業者のカリスマ・創業家の求心力』を生かす所は多く、社名に創業者の名前をつけるのも珍しくない。民主化した現代社会でも、企業に主君と家臣のような自生的な身分感が有り得るのは不思議でもあるが。
企業を長く存続、従業員をできるだけ守るという経営者の意思は、経営コンサルや外部のプロ経営者とは対極の姿勢で、ある程度大きな会社でも血縁・創業家の側近でない者が経営トップにつくと『経営改革の部分的成功』はあっても『会社の名前・理念・現社員の長期存続』は望みにくいという。外部社長の愛着・長期視点は弱い。
ロート製薬は創業家の持ち株比率が20%に満たないのに、代々山田家が社長を送り込むが、経営陣・株主から反対の声はないらしい。山田邦雄会長は『勤め人・雇われ感覚・自分の会社でないの思いがあると、子孫の先の100年以上の会社の存続・戦略に本気でコミットできず近視眼になるデメリットがある』などの話をしている。
確かに子孫に自分の経営者としての成果を継承させ、今の会社の名前・事業・理念・雇用をできるだけ本質を変えず守っていきたい等は『サラリーマンの雇われる立場』から必死になるには限界がある。所詮は自分の会社ではなく、定年退職を楽しみにしている人も多く、企業の長期存続を自分の安定雇用を超えてイメージしづらい。
順調に業績を上げ続けられる企業は悪徳企業でない限りは、特に正社員の雇用に対しては『共同体的な安心感・中流階級的な生活水準』を与える社会貢献の要素を無視できず、普通は10人、20人を安定して雇い続けられる会社を立ち上げて維持することすら簡単なことではない。初期資本・先祖の身分等の格差の不公平はあるが。
新興企業がIPOの時に、起業メンバーに株式を報酬として割り当てる『ストックオプション』というのは、典型的な『オーナー意識の付与方法』ではある。大株主でなくても一定以上の株を保有して配当金が入り、自分も長く働いているような人は、『当事者意識(ただの雇われではない帰属・貢献)』を強めやすいためである。