日本は正社員の身分が解雇規制等で守られる一方、『内部告発すれば勤め先にいられない・裏切り者扱いで総スカンを食らう』になりやすく、『客観的な正義』と『身内仲間・組織を守る道義』が対立する。
日本の会社組織をはじめとする勤め先は『内と外の論理』が厳格だった。『今のネット社会・非正規雇用の状況変化』があってはじめて会社内部の非常識・虐待・違法行為が明るみに出やすくなったが、かつての企業戦士は『会社・身内が絶対(自分の身分と食い扶持の保持)=法律や常識は二の次の治外法権』の意識に近かった。
日本の国・政府もまた経団連寄りの『経済至上主義(ブラック企業容認・人材の効率的活用)』を長年続けてきて、労働基準法も空文化されやすかった。近年話題になりやすくなっている『障害者施設の虐待問題』も経済至上主義・会社絶対の時代には見えにくかった(大衆の興味から外れてきた)近代日本が隠蔽してきた部分だろう。
格差・貧困の増大で健常者でも生活水準が低下して余裕がなくなってきたことも、障害者福祉に対する反道徳的・優生学的な差別思想や虐待行為が表面化しやすい背景を構成する。そういった差別や虐待を許せないまっとうな職員が内部告発をしても、施設・問題職員の目線では『仲間を裏切る偽善行為』にしか映らない虚しさはある。
社会的・経済的に自立困難だから高齢者や障害者を社会福祉政策や施設介護・保護で守ってあげなければならない(生存権・社会権の保障)というのが、近代国家の果たすべき役割とされるが、現代の歪さは高齢や障害の要因がない健常者が社会的・経済的・心理的に十分な自立と自信(自己肯定)を持ちづらくなっている事にもある。
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