エマ・ワトソンの胸露出写真が気に入らないフェミニストとフェミニズムが目指すもの:『見られる客体としての女性』をどう考えるか

女性解放・女権拡張のフェミニズムは『女性の個人化・自己決定権の強化』として機能したが、『女性の平等化・女性の客体化(見られて評価される美)の否定』についてフェミニスト間の価値観・目標の対立もあるのだろう。

胸露出写真はフェミニズムに反さず、女優E・ワトソンが批判一蹴

エマ・ワトソンの胸露出写真が気に入らないフェミニストは、容姿・性的身体によって評価される『女性を見られる客体にする社会構造(財力ある男性のまなざし)』が男権的な女性のモノ化につながると解釈するのだろう。男女の一般的な差異として『身体・性の価値』があり、男女平等に至らない主因の一つではあるだろうが。

最近は男も見た目の良さやジェンダーレスで評価され始めたが、それでも一般的な男性の大半は『見られる客体(美・欲情の客体)としての価値』を余り持たないが故に『働いてまなざす主体の意識』が前面に立たざるを得ない。フェミニズムは女性性や性的魅力まで否定しないが、女性の美・性的な客体化は扱いが厄介だろう。

エマ・ワトソンの胸露出写真は、ハリウッド女優である彼女の自分は美しいの『ナルシズム』があり、そのナルシズムを追認・補強する『男・女のまなざし』が取り巻く。男性になると高橋一生さんのように脱いでうっとりできる・させられる男は例外中の例外で、男性の身体を価値ある客体としてまなざしたい人はやはり少ない。

なぜ女性の身体の露出性ばかりまなざしや欲望の対象として客体化されるのか、もっと男性の身体や性的露出も肯定的に評価されても良いではないか、むしろそうでなければ男女平等は表層的なものに過ぎないの意見もあり、なるほど理屈はそうかもしれないが生物学的・心理的な仕組みが男性の身体・性の客体化に対立的なのだろう。

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