現代日本の大学教育の効用と貸与型奨学金を借りすぎることのリスク:奨学金を借りるなら働くビジョンも必要

日本の大学教育は医歯薬看系の学部を除き『職業教育・資格や免許』の側面が弱く、卒業すれば確実に平均所得前後を稼げるわけではない。親世代の大卒ならそれなりに稼げるの見通しの具体化が必要だ。

ルポ・奨学金に奪われた未来、仕送り激減、ブラック企業への就職…

数百万以上の奨学金を借りる事は、無利子に近くても『長期間にわたる固定の支払い』が発生することを意味する。固定費は一つが少額でも家賃食費・水道光熱費・スマホ料金と積み重なるとすぐ10~20万以上の金額になる。卒業までにどんな仕事・資格・方法でどのくらい稼げそうかの見通しを早い段階で立てる必要がある。

本来、親の資力に影響されにくい機会の平等を担保するため、大学までの教育過程全体の無償化を進めるべきだが、そのためには『大学全入化の改革(大卒を就活の最低ベースラインとする企業・個人の意識変革)』が必要で、『大学に入学すべき能力・目的・適性がある一定数の人材』だけが大学に進むようにしないと無理だろう。

どんな大学・学部でもとにかく大学に合格し卒業すれば、最低限の仕事や収入を確保できるのだから、高額な奨学金の借金をしたってそう苦労せず返せるという発想そのものがハイリスクなのである。長期返済覚悟なら『どの大学をどんな目的で目指すのか、先の仕事や収入につながるものを学べるか』くらいは最低限考えておきたい。

そもそも『大学でないと学べない内容・実現できない目標』『大学でしかやりたい学問ができない環境』がない人(勉強・研究・教養・専門性確立に意欲がない人)が、無理に大学進学する必要はないのだが、戦後日本は学問の府の大卒を就活のベースラインとする慣習を固めてしまった。中流的な就職のための前提になり過ぎた。

大学教育課程を、能力・目的・職能に見合った(卒業すれば仕事を得やすい)専門的・職業的な実学・実践寄りの教育を行う高卒以上の学校と分化させ企業も大卒と大きな差をつけず採用が望ましいか。大学生の多くは教養人や研究者、専門家になりたいわけではなく、卒業して食いっぱぐれない担保がある教育を望むとも思うが。

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