教育勅語は儒教道徳がベースで『君臣秩序・ご恩と奉公(命を捧げるお上への恩返し)・上下関係の教条化』など現代の憲法とそぐわない部分もあり、家族・友と仲良くは敢えて教育勅語でなくとも良い。
教育勅語の問題は、人は平等ではない、本人の行動に責任がなくても『滅私奉公・服従や遵守』というような一方的ロジックが多いことだろう。例えば、親孝行・先祖崇拝は儒教では絶対原理だが、『打たれても親の杖』のように殴られたり虐待されても親は親だから敬って孝行しなければなりませんといった教条主義の類が多い。
儒教は『肩書き・身分などの関係性における上下の役割』の明確化に主眼がある。易姓革命など例外の革新主義もあるが基本は『相手がダメでも言い訳せず既存秩序・既存の上下関係を必ず守りなさい』という超保守主義なのである。だから『相手の気持ちを考えよう』ではなく『相手との関係性に従うルール』に傾くリスクがある。
教育勅語というのは現代の人権・憲法・自由と整合性のある道徳ではないという理由の一つは、『人間はその価値が平等ではなく関係性・身分によって上下関係がある(その上下関係で持続的秩序が形成される)』を前提にしていて、『人間(他者)の内面・心理・感情,人が傷ついているかどうか』には殆ど頓着しない所だろう。
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