長期間親密な親友であれば介護も可能かもしれないが、知人レベルの他人では無理だろう。『親族の情緒・恩義の結びつき』か『職業的な職務意識・勤務時間・役割分担に基づく責任感』がないと難しい。
自立能力のなくなってきた人一人を長期間世話して面倒を見るのは本当に大変なことで、特に自意識や潔癖症、他者への無関心が強まっている現代人には相当難しい。成長して未来のある我が子(赤ちゃん)にだってストレスを溜め込んだりすることは多い。過去に恩義も好意もたいして感じてない高齢者の介護なら尚更に。
人間の尊厳を守りながら相手を献身的に世話するのが真の『介護』かもしれないが、介護する高齢者は認知症の知能・記憶の低下や生活技能の低下、排泄物の垂れ流し(不潔行為等)でその尊厳を自ら捨てるような行動・外見を示す。仕事のように決まった時間の世話でなく、共同生活する形の長期介護は家族でも困難になりやすい。
この40代の無職の男が、60代の知人の介護をどのような経緯でするようになったのか、世話をする代わりの報酬を受け取っていたのか否か(年金管理などをしたのか)は分からないが、報酬があっても『軽い気持ち』で請け負い、60代男性の症状・問題行動が日毎悪化し手に負えず、情緒不安定になっていた可能性もある。
少し前にアルバイトをしていた70代女性が、介護疲れでやる気がなくなり、夫の世話・面倒を放棄し飢え死にさせたとして殺人容疑で逮捕されたが、施設介護に委託するだけの年金・預貯金がなくバイトと年金で最低限の生活をしていたのだろう。個人や家族の単位の介護には限界があり、人一人の終身の面倒を見切るのは難しい。
血縁者でも夫婦でも、密室の介護は悲惨な末路を迎えやすく、40代男がなぜ60代男性の介護を引き受けたのだろうかと思います。最低限の世話をしてくれたら余った年金を自由に使っていいなど交換条件はあったのかもしれませんが、それでも介護職の経験も使命もない個人が適当に着手するのは無理な仕事だったのではないかと考えさせられます。
記事にある被害者の60代男性に認知症的な症状があったのかの記載はないが、認知症患者は虐待リスクが急速にあがります。それは『少し前までまともに話せていたように感じる高齢者』が、短期間で『幼児退行・言語能力低下・記憶力低下』を示して、わざと注意やルールを守らないように見えてしまうからだと言われます。失禁等を厳しく注意のつもりで怒って大声になり次第に手を出すようになっていくようなケースもあるでしょう。
結局、本気で排泄介助まで含めた介護をするつもりがないアマチュアな人が、『要介護度が上がっていく・コミュニケーションが取りにくくなる高齢者』と深く関わりすぎて、フラストレーションを溜め込み行動化したケースに思えました。自分で排泄制御する能力が失われつつある相手に対して、頻繁に怒鳴っていて何度も失禁するので暴力的になっていたのかもしれません。