日本仏教は古代の護国・官僧から始まり、鎌倉期の禅宗寺院も国家権力と結びつきが強かった。現代の巨大新興宗教・創価学会に接続していく『日蓮・法華経の系譜』が、なぜ石原莞爾・北一輝・宮沢賢治など近代の政治家・軍人・文学者・芸術家まで魅了し続けたのか。一神教的な絶対性のない日本思想史に日蓮は特殊な位置づけにある。
『南無阿弥陀仏』の念仏と『南無妙法蓮華経』の題目は、仏教に疎くても誰もが知る仏に救済を求めて帰依する決まり文句だが、日蓮は『法華経』を仏教の最高真理に到達できる別格の経典と位置づけ、半ば狂信的な帰依を説いた。日蓮は『立正安国論』で護国を説いたが、国概念を超えた仏国土を夢想したアナキストの面もある。
日蓮や法華経の『久遠実成』『二乗作仏』は、菩提樹下で悟りを開いて仏陀となった釈迦個人の存在を超えた『時空に常在する永遠の仏陀』を説いたもので、法華経は仏を一神教的な神の永遠無限性に再定義したような所がある。法華経の縁を得た生命は衆生の個別の区別なく流転苦難しながら必ず成仏するという救済論につながる。
日蓮・法華経が大乗仏教の僧侶の中で特に人気を得やすい理由の一つは、南無阿弥陀仏の称名念仏だけで極楽往生できるとした浄土真宗と同じく『易行での成仏・悟り』を説き、仏教により永遠の仏の超越性と万人救済性(無差別性)を加えた所にあるのだろう。
日蓮主義は『敗北者意識・マイノリティ意識』を強く引き寄せる重力を持つ傾向があり、宮沢賢治なども臨終の間際まで法華経信仰に関連する遺言をしたというが、ある種の『万民平等思想・現世の相対的差異の抹消思想・現世価値転覆の革命思想』であるが故に大衆・弱者の自意識を慰撫するような所があるのではないかと思う。
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