沖縄の悲劇は戦争と戦陣訓で多大な犠牲を出した地域でありながら、戦中は二級国民扱いされ、戦後の反戦運動・基地反対さえ非国民的(親中・利敵)と指弾されている事だろう。軍事関連の犠牲と負担と非難が、沖縄県に長年にわたってのしかかり続けている。
戦争を繰り返さないためにどうすれば良いか。軍事力を強化すれば戦争を回避できるは誤りで、『軍産複合体の巨大化+軍人の発言権の強化・軍人閣僚の承認』があると、アメリカのように軍事費・軍隊の自己正当化(必要性の自己証明)のために戦争の大義名分がつくられる。軍事関連の雇用が増えると簡単に削減できない。
必要限度の防衛力(軍事力)は必要だが、『軍事費・軍事関連の雇用の拡大』を抑えられる仕組みを担保し、『軍事ビジネス化(国の軍事予算を当てにする企業・軍隊・勢力の増大)』と『軍人の権威権限・発言力の強化(軍人が内閣に入って閣議に影響を及ぼす)』と『国民の軍事・軍人の熱狂的支持』は抑止しなければならない。
戦争が起こる最大の要因は、やはり『平和主義を支持する国民・自分や家族の命を惜しむ国民』を『大義を立てた戦争を支持する国民・自分の命を惜しむ国民を卑怯な裏切り者の非国民として指弾する国民』が圧倒的に上回り、学校教育やマスメディアの報道も自衛・大義の開戦論をバックアップすることである。
大日本帝国の戦争の要因として大きかったのも、義務教育・マスメディア・軍国主義が生んだ『戦争やむなしの世論の熱狂』である。『戦争反対・平和主義=お国(天皇)のために戦えない臆病者、満州国など日本人が血を流して得た戦果を捨てる裏切り者』とされ、同調圧力によって反戦・徴兵拒否を言い出せない空気となった。
北朝鮮の核開発・ミサイルの脅威、中国の膨張主義による潜在的脅威はあるが、それに対して『軍拡と仮想敵の設定・国民の憎悪(恐怖)と好戦性の扇動・マスメディアの戦争やむなしの報道姿勢』が重なればいつか戦争が起こる確率が上がる。その極端な反面教師の事例が北朝鮮の国営放送や国民教育、日米への憎悪扇動だろう。
戦争をしかけようとする国は、北朝鮮や中国は典型だが『国内の経済・内政・格差・福祉の問題(国民の政府や指導者に対する不満)』を抱え、簡単に解決できない国内問題を緩和する為に『仮想敵・戦争や憎悪の意識化』を行って、国民の不満の原因を外国に逸らせようとする。大日本帝国も一般国民は貧しく世界恐慌が直撃した。
戦争をしやすくなるもうひとつの条件としては、かつての皇民教育にせよ北朝鮮の将軍崇拝教育にせよ、中国の共産党一党体制にせよ、国民に自分・家族などの個人の生命よりも大切な『国家・指導者・思想』を置いてそれを洗脳的に刷り込んでいくという事がある。自分が一番大切な自由人ほどむしろ戦争や軍隊には参加しない。
近代的な規律訓練教育が労働者や軍人を生み出す教育制度であったように、戦争・軍隊というのは戦場の混乱を別にすれば、基本的には北朝鮮の軍人の行進のように『秩序正しく規範・上下関係に従順な兵士』を大勢訓練して集めなければ話にならない。その意味では、生真面目で集団適応的な国民ほど戦争に適合しやすい面もある。
戦争反対論の典型の一つとして、『戦争をやりたい奴だけでやれ』という考え方があるが、これは極めて現代の個人主義的・自由主義的な発想に基づく反戦論であって、北朝鮮・中国・旧日本のような全体主義的な国家体制はこういった『皆に合わせない国民』は処罰・体罰・村八分で散々に考えを変えるまで痛めつけられやすい。