『性暴力は死ぬ気で抵抗すれば防げる』という間違った認識で抑圧される女性:性暴力は物理的暴力・死の恐怖も含んでいる。

性暴力はどこまでエスカレートするか分からない物理的暴力でもある。現代人の大半は本気で殴られ脅される暴力に耐性はなく女性なら尚更である。

「性暴力は死ぬ気で抵抗すれば防げる」にジョン・カビラ猛反論 「自分の娘が被害に遭ったとして同じ言葉を言えますか?」

60~70代の男性が『性暴力は死ぬ気で抵抗すれば防げる』と勇ましい事を言うが、裏返せば『(レイプされた妻・娘の落ち度を責める型の)男権主義的な女性の性的な独占願望の変形』に過ぎない。女性の生命・貞節を守ろうとしての抵抗論ではなく、女性を夫・父の所有物と擬制しての抵抗強制(性犯罪被害=恥・穢れ)に近い。

女性を夫・父の所有物と擬制する抵抗強制は、あからさまに賛成する男は現代では少ないが、妻・恋人などがレイプ被害にあった時に『被害を受けた妻・恋人を責めたり避けたりする男』は少なからずいるのも現実だろう。被害を受けた女性が自分自身を責めたり穢れを感じて自己否定するセカンドレイプやモラハラとも関係する。

どこまでエスカレートするか分からない物理的暴力は、体格がプロレスラーのようにごついかだけでなく、『抵抗すれば殺されたり重傷(身体障害)を負わせられるかもしれないという本気の犯罪加害者と対峙する恐怖』である。男でも不意打ちで鈍器で顔面を痛打され骨折(歯が折れる)・流血でもすれば9割方は抵抗力を失う。

平和な現代社会では物理的暴力や複数人による暴行(リンチ)が持つ『人の意志を屈服させ言動の自由を奪う強制力』を甘く見がちだ。女性が誰もいない暗がりや車中に引きずり込まれ、本気で一発平手打ちでもされれば、大半は恐怖心で身動きできなくて当たり前だ。複数人の暴行や凶器の脅しなら男でも大半は恐怖で動けない。

想像上だけなら強姦・強制わいせつに抗うためどんな暴力や拷問、脅迫にでも耐えられるランボーやジャック・バウアーのようになれるだろうが、実際は男でも『屈強な相手・不意の痛撃・複数の相手・逃げられない状況・刃物や銃器』があればまず抵抗することは不可能で、女性ならその何倍も抵抗する為の覚悟や恐怖耐性がいる。

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