飲酒運転の厳罰化で一回の違反で『社会的生命の抹殺』に近い扱いを受け、免許取消・高額違反金も科されるので、今も飲酒運転をする人は『常習者・アルコール中毒・ほんの数分の甘い認識』が多いだろう。
飲酒運転は量刑の重さでは、一般的な社会人にとっては十分に重くなっている。仮に死刑があっても『常習者・アルコール中毒・甘い認識の者』は捕まるか事故を起こすまで分からない。自宅前の数十mの移動・車庫入れで検挙されても、仕事はクビ、実名報道で信用喪失、免許取消・欠格期間、高額違反金、飲酒運転は大幅に減った。
今でも飲酒運転をしている人の大半は、『(飲酒運転の意識も罰則も甘かった昭和以前の)長年の飲酒運転経験からの根拠のない自信・自己特別視』が影響しているか、飲酒があまりにも日常的になりすぎていてアルコールが抜ける時間が短いかだろう。本件は、走行中の大量飲酒で非常に悪質、危険運転致死傷罪の適用が妥当だが。
ガチガチに規範遵守する常識人でなくても、今の罰則や世論を前にして、9割以上の人は『飲酒運転を一か八かでする選択肢』そのものがなく、飲酒をする場には車に行かないし、車でも代行を頼む。『飲んだら乗るな、乗るなら飲むな』を未だに実践できない人は知的・精神的(自己制御的)・適応的な問題がある。
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