少子高齢化問題は1990年代から指摘され続けているが、『皆婚・早婚・多子・同調圧力・児童労働の前提』が概ね崩れた先進国は程度の差はあれ少子化傾向になる。所得減少・格差社会も少子化を強める。
既に出産可能な女性の人口が減ってきているので、急激な人口増加への反転は期待しづらいが、日本より韓国・香港・シンガポール等の出生率が低いことを考えると、少子化は日本特有の問題ではない。『自立までの子育てにお金がかかる国・教育水準が高くなった国・子の自立が遅くなった国・格差が大きい国』は少子化に至る。
政治が悪いから子供が増えないという単純な問題ではなく、現代の経済社会・先進文明が抱える『個人の人権と尊厳・選択の自由と決断の放棄・市場競争原理・建前の平等と実際の格差・子の非生産性(孝行から子のために親が援助へのシフト)・性の代理満足』などによって積極的に子供を増やしたい男女が減っている。
結婚・出産は、過去の時代でも自分が望む理想的なパートナーと最適な時期に行えたものではない。半強制的な義務(同調圧力・世間体)があるか、子を持つ労働・孝行の利益があるかでなければ、結婚・出産をしていなかった層も含まれていた。現代では半強制力が薄れ、格差・貧困を嫌い、自分の選好にこだわる層が増えた。
先進国では建前として個人の平等と人格の尊厳が保護されているが、『労働現場・市場原理・男女関係・保有資産・生れ育ち・個人の力量』などでは実際的な待遇・余裕・承認の格差は大きくなっており、尊厳や価値、希望が脅かされていると感じる人も増えた。『蛙の子は蛙の世代間格差受容』も教育向上で難しくなった。
こういった少子化要因を覆すには『産業構造の転換・生活水準向上・社会保障再建・平均的な知性の下落(感覚的に生きる)・道徳観念の転倒(子の人権抑制)』がないと不可能だが、反近代的な諸条件が今後揃うことも不可能に近い。むしろAI・ロボットによって労働市場が縮小し、労働力需要が落ちる可能性もある。
超高齢化社会における社会保障負担率の上昇を止める方法が先進国には乏しく、高齢化社会改善のために子供の人口増加が必要なのに、逆に社保負担増加で現役世代が子供を持つ余裕を失うというシニカルな構造問題がある。また人口と経済財政と社会保障は、人口が増えれば増えるほど良くなるという単純な比例関係にはない。