精神分析的な性事象・性欲刺激の連想には切りがない。未来の人類は健全さを増して『フィジカルな性交渉・羞恥や卑猥の興奮・裸体の性的観賞』を動物的な野蛮行為として敬遠するのかもしれないが、性嫌悪的な感受性やクレームは過去よりも増えている。
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SF的な小説・映画には、物理的なセックスが過去の人類の動物的行為として衰退、不衛生・悪徳・野蛮として敬遠・規制されるプロットは多い。S.スタローンの『デモリションマン』、村田沙耶香の『消滅世界』、森博嗣の『彼女は一人で歩くのか,Wシリーズ』などをふと思い浮かべたが、現代の表の道徳・教育は性嫌悪的か。
CMは少なからず、無意識であっても性的刺激のサブリミナル効果を活用しているもので、『言葉・動作・表情・やり取り』などから性事象を自由連想することが可能だが、極論すれば水着の女性がダメとか、女性が舌を出すのがダメとか、『大きい・硬い・入れる・凄い等の思わせぶりな発言』がダメとか収拾がつかない。
しかし最終的には人類は(イスラーム圏の世界支配領域拡大などがなければ)『男女のセクシャリティにおける性差』を可能な限り、縮小させる方向のポリティカルコレクトネスに突き動かされて、ポルノ関連の規制もどこかの時点で女性差別的だとして規制される可能性はある。今も男女の中性化はあるが、今より進むだろう。
森博嗣の『彼女は一人で歩くのか,Wシリーズ』では、医療科学技術の進歩によって寿命が数百年以上まで長くなった人類は、生殖本能を次第に喪失して、男女間の性行為もなくなった設定になっている。『性差・性欲の無効化』があるとしたら生物学的有限性が崩れ、短期的な生殖の必要が薄れた時というのは論理的ではある。