『週刊少年ジャンプ』のお色気表現の是非の議論と男女の身体の非対称性・人類のエロス論

弁護士の太田啓子さんの批判のポイントは『女性の水着が脱げそうな描写』より『嫌がっている女性の裸を見たがる男性心理』にあるようだが、少年誌のお色気描写の規制論も『絵柄・行為』だけでなく『心理・ジェンダー』まで含めると複雑になりすぎる。

江川達也氏が「少年ジャンプに抗議を」に真っ向反論

そもそも論では、子供向けの実写でも漫画でも性描写で問題になるのは『女性キャラの露出度』で、『男が女の身体を見て興奮するベクトル』である。少年誌では男性キャラが意図的に脱がせたり行為したりの表現はしづらいので、偶然に水着が脱げるとかこけて密着する、下着が見える等で一方的に喜ぶ表現になりやすい。

批判のポイントは、広義の少年誌におけるお色気描写への反対意見だが、『同意のない女性の水着姿・裸体を男性がまなざして一方的に喜ぶ(漫画の女性キャラはきゃーきゃー嫌がっているのに見たがる)』という男性主義的な性欲充足を前提にした描き方へのジェンダー的抗議かもしれないが、他の描き方は別の問題が生じそうだ。

男女平等主義が普及しても、男性の身体と女性の身体の扱い方はフラットにならない部分が残る。

パブリックな場で言葉にできない女性の性的部位のタブー度は、女性が男社会に保護されているとも言えるし、逆に男社会によって所有・管理されているとも言える。ラディカルフェミニストやろくでなし子さんのような思想では『私の性器は猥褻物ではない』と確信犯で公の場に公開・言及しようとするが、賛同者は極めて少ない。

物事の道理としては隠蔽・禁忌とされ稀少性が高まるから、女性の身体が『猥褻物・いやらしいもの』にされる因果もないわけではなく、アマゾンやアフリカの胸を出した未開民族では『女性の胸』は男の性欲を特別に刺激しない。男の上半身裸はテレビに映しても良いが女性はダメも、間接に女性身体の性的価値化の影響はある。

文明社会の被服文化とエロティシズムまで遡ると、文明が発達するほど『着エロ・妄想の要素』が加わり、性行為が生殖的ではなく娯楽的になる傾向が強まる。女性の身体が性的にまなざされて妄想される要素が、常時露出の未開民族よりもバリエーション豊かになる。文明人は性の娯楽化・付加価値で性的禁忌を増やした説もある。

漫画のお色気規制の話題から逸れたが、少年期に軽度の性的コンテンツ(胸・下着の露出や入浴・着替え程度)に触れる事で、異常性欲・性犯罪者になりやすくなるメディア強化説は現代の行動科学では実証されてないが、『女性の身体を性的価値のあるものとして娯楽的(生殖と無関係)にまなざす影響』はあるといえばあるだろう。

人類の性の歴史が長らく『男性中心主義・男性目線』できて、『見る男性・見られる女性』のジェンダーが固定されやすくなり、被服文化と性的禁忌によって『女性の身体の相対価値と猥褻性が高められた(モノ扱いで倫理的問題を感じる人もでる)』という事になる。近年の性は『男性の容姿・肉体を審美的に見る能動的な女性』も増え、事態は性差を超えて混沌としてきているが。

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