核兵器禁止条約の実効性の弱さと日本の不参加:核抑止力・独裁国家の核開発をどう超えて禁止できるか

核兵器禁止条約に被爆国の日本が署名できないのは情けないが、条約に実効性を持たせるには核兵器を一元管理できる国際機関承認が必要だ。国家単位の利益追求と武力による問題解決がある限り難しい。

核兵器禁止条約採択、米など反発 日本は「署名しない」

参加国の利害対立を武力で解決することがないEUのヨーロッパ共同体のようなものが、中朝も参加する東アジア共同体として実現しない限り、核兵器禁止条約と安全保障体制の両立は困難だろう。国家単位で自国の利益を最優先して、他国と利害や主張が対立した場合の最終的な選択肢として戦争・核がある状況では禁止できない。

東アジア共同体+ロシア、EU+ロシア、南米アメリカ共同体+日中のような『広域仮想共同体・集団安全保障(全会一致のみで核兵器使用可能)』があれば、核兵器禁止条約の条文は現実のものとして機能する可能性がでるが、これは相互の重なり合いを結びつければ『実現プロセスが見えない空想近似の世界政府構想』である。

核兵器保有の願望は、『暴力の論理における優位性(言うことを聞かせる・誰も自分に干渉できない力を持ちたい)』であり、野蛮で動物的だが、経済も犯罪も話し合いの通じない相手に最終的な強制力を担保するのは『暴力(収監・死刑等)』というのは今も昔も変わらないのかも。人の言う事を聞きたくない国・人は多い。

先進国の大半の個人は『核兵器で脅したり殺したりしてまで利益を得たくないという意見・できれば核兵器を廃絶したい』に賛同するが、同時に核保有国・常任理事国の人には『我々は理性的で間違った核兵器の使用はしないが他の核保有国は信用できない』と考えるので、お互いを疑うことでお互いが核を持ち合う抑止しかなくなる。

ABC兵器と呼ばれる大量破壊兵器も、根本にあるロジックは昔の刀剣・弓矢・鉄砲と同じレベルであり、『強い国・人のほうが得をしやすく傷つけられにくいという考え方』にある。その考え方を支えるのは『人間は痛い目に遭いたくない・殺されたくないはず』だから、強大な暴力を持つ勢力に従いやすい一般的事実か…

その考え方が成り立つのは『国家主権の不可侵性・外国人の生命や権利の軽視・戦争や核兵器使用の選択肢の維持』があるからで、国家単位の利害追求を『排他的な国益』で推し進めてしまいやすいフレームワークを崩し、仮想的共同体の集団安保や人権尊重で既存核兵器を自国の為だけには使えない使用条件の公共化が必要だろう。

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