総合評価 85点/100点
渡辺謙、妻夫木聡、綾野剛、松山ケンイチ、森山未來、宮崎あおい、広瀬すずらの豪華キャストを揃えた映画。監督は妻夫木聡と深津絵里が共演した『悪人』と同じ李相日で、脚本原作も同じく作家・吉田修一である。
李相日と吉田修一のコンビで作る映画は、人間の『表の顔』と『裏の顔』の二面性を描いて人の心理の本質(抑圧された欲望)や罪業(不可避な原罪)に接近する手法に優れている。一人の人間の内部にある『悪人と善人の表裏一体』を様々な情景と状況、言動から浮かび上がらせることで、観衆が見ていた人物の想定外の一面をショッキングに伝達する。『秘密を抱えることによる人生の影』や『他者を信じ抜くことの困難』のようなものが鍵になっている。
映画『怒り』は俳優の演技にも痛々しいほどの臨場感があるが、同性愛者である藤田優馬(妻夫木聡)が怪しげなハッテン場で、部屋の隅にうずくまっている大西直人(綾野剛)の足を蹴ってこじあけながら、強引にキスをして絡みに持っていくシーンなども、弱気な大西を攻めてにやけている妻夫木の表情と鍛えた肉体が印象的だが、こういった性表現の露骨さが目立つので地上波の21時台での放送はおそらくないだろう。
外向的な藤田と内向的な大西のホモセクシャルと友情の深まり、そのまま半同棲するようになった藤田と大西だが、過去を一切語らず仕事もしていない大西直人の『素性・来歴』は不明のままである。自宅の鍵を預けるほどの愛着と信頼を見せながらも、藤田は大西に対して『家の物やカネを無断で持ち出して逃げれば即座に警察に通報する(俺は同性愛者であることがバレることを恐れていない)』と牽制する。
二人の同棲関係が続いていた中、藤田の友人知人に『自宅侵入+窃盗の被害』に遭う者が続出し、藤田は自分のいない昼間に大西がカフェで若い女と密会していたところを偶然見かけてしまう。藤田は大西が本当は同性愛者などではなく、自分や知人からお金を盗むために接近してきたのではないかという疑惑をふと抱いてしまう。
テレビで『八王子夫婦殺人事件』のニュースが流れて、整形したとされる犯人の似顔絵が大西にどこか似ているように感じてしまうのだが、そんな時に警察から突然『あなた、大西さんの友人ですよね?』という確認の電話がかかってきて、パニックになった藤田は慌てて『知りません』と警察からの電話を切ってしまった。
『怒り』の冒頭では、実際に起きた『世田谷区一家殺人事件』を彷彿とさせるような凄惨な『八王子夫婦殺人事件』の様子が描かれる。うだるような猛暑の夏の一軒家で、若い夫婦が血まみれにされて惨殺されたのだが、犯人は初め妻を刺殺した後に、エアコンも入れていない熱中症になりそうな室内で汗をだらだら垂らしながら夫の帰宅を待って殺害した。
殺害後にもすぐに家を立ち去らず、冷蔵庫を開けてジュースを飲みアイスを食べ、殺した夫婦の血で壁に『怒』の一文字を粘着質に何度も血糊をなぞって描き残していった。その後も、朝になるまで妻の遺体のある浴室で、まるでサウナで汗を流すかのように熱帯夜の猛暑に耐えて居座っていたとされる異常な猟奇殺人事件である。
映画『怒り』では、過去に何をしていたか分からない、内心で何を考えているかも分かりにくい三人の流れ者として、大西直人(綾野剛)、田代哲也(松山ケンイチ)、田中信吾(森山未來)の三人が登場する。このうちの一人が『八王子夫婦殺害事件』の犯人であるというフーダニット(犯人探し)のミステリードラマが映画の主題になっているが、結構、後半の核心部分に入るまで誰が犯人かは分からない構成が工夫されている。
履歴書もなく過去に何をしていたか分からない田代哲也(松山ケンイチ)は、槙 洋平(渡辺謙)と槙愛子(宮崎あおい)のいる港町に流れてきている物静かな青年だが、経営者である槙洋平の好意で工場のバイトとして雇われていた。
都会で風俗に身を落とされて傷ついた娘の愛子(宮崎あおい)が戻ってくると、無口で影のある田代に自分と同じ雰囲気を感じて惹かれるようになるが、槙洋平は仕事熱心ではあるが素性が分からない田代と深い関係になることには反対であった。
そんな時に、八王子夫婦殺害事件のニュースが流れる。整形手術をして逃亡中であるとされた犯人の似顔絵が、どこかしら田代の風貌と似ているという話になるが、槙愛子は田代から過去の人生についての話はしっかり聞いているから大丈夫、親の借金を払えなくてここに逃げてきただけだと語る。心配な父親の槙洋平は興信所を使って調べ、田代が語っていた過去の職歴が事実と異なることに気づく、愛子の姉(池脇千鶴)も指名手配犯と顔が似ているという不安を払拭できず警察に通報してしまった。
沖縄の孤島で世捨て人のようにして暮らす自由気ままなフリーターの田中信吾(森山未來)は、その島で東京から沖縄に移ってきた小宮山泉(広瀬すず)と知り合い、いろいろな話をしていく中でちょっとした友人のような関係になっていく。泉に惚れている同級生の知念辰哉(佐久本宝)が、船を操縦してその孤島にまで移動しているのだが、泉が怪しげなおっさんである田中になついている感じが少し気に食わない。
小宮山泉と知念辰哉が一緒に那覇市まで遊びに出かけて、偶然そこで田中信吾とも会って一緒に食事をすることになるのだが、辰哉は飲み慣れない酒を飲んで泥酔してしまう。夜も遅くなったので田中が送っていこうかと二人に声をかけるが、『大丈夫』といって二人で帰ることにした。
しかし、酔っ払って勝手に進んでいく辰哉を見失った泉は、米兵の多い飲み屋街へと迷い込み、公園で屈強な米兵に突然押さえ込まれて襲われてしまう。悲鳴を聞きつけた辰哉だが、二人の筋骨隆々とした荒っぽい米兵を前にして、膝が震えて声も出せず、何もできないままうずくまるだけだった。
誰かが警察を呼ぶ大声を出してくれたお陰で泉は助けられたが、その日を境に二人の関係は切り裂かれて実質的に絶縁状態となった。泉は性犯罪に巻き込まれたショックと近くにいたのに自分を見捨てた辰哉に対する強い憤りで、今までのような明るく開放的な性格を失ってしまった。辰哉も臆病に駆られて何もできなかった自分の不甲斐なさと罪悪感に苦しみ、その胸の内を田中に語って少しでも苦悩を和らげようとしていた。
映画『怒り』は、八王子夫婦殺人事件の犯人探しを軸にして、大西直人(綾野剛)を信じようとして信じきれない藤田優馬(妻夫木聡)、田代哲也(松山ケンイチ)を信じようとしたが疑ってしまった槙愛子(宮崎あおい)、何も気にしない自由な雰囲気に満ちた田中信吾(森山未來)に惹かれてなついていた小宮山泉(広瀬すず)の米兵の性犯罪被害による性格の変化という『3つの関係性(信頼・不信の揺れ)』を詳細に描ききっている。
『3つの関係性』のうちの2つは相手への信頼を回復させて疑った自分を反省するという流れになり、残りの1つが今まで見せなかった『裏の顔』を晒して完全に信頼を崩壊させ、八王子夫婦殺人事件の犯人であったことが明らかにされるという構成になっている。