育児と介護のダブルケアの原因の一つは確かに晩婚化・晩産化だが、戦前戦後までの日本人の平均寿命は60歳前後で55歳退職でも余命が5歳前後しかなかったので『長期介護の問題』が発生しづらかった。
現代人は健康寿命も延びて65~70歳頃までは自立的生活が可能な人が過半だが、それでも70代以上になると『健康ではない医療・介護が必要な余命』が10年以上は残ることが多く、家族のマンパワーか施設介護の経済負担かのどちらかが必要になる。現代人から『自然な死』が失われ、救命後の延命治療の問題もある。
現代の核家族・サラリーマン世帯では特に『ダブルケア』はじめ『自立できない他人を物理的に世話する余力・心理状態』が乏しくなりやすい。過去の大家族のように余剰人員のバッファがないので『自分一人であれもこれもの負担・責任』は大きくなる。一人でなくても配偶者が手伝うくらいで、人員も時間も不足しがち。
因果は巡るではないが、『過去の親子関係の良好さ・子供世代のための資産形成・子供にできるだけ負担をかけない心がけや考え方』があるかないかで、老後の介護環境は違いが生じる。配偶者・子・孫から嫌われていたり、経済的・心理的に迷惑をかけ続けたりした人が、良い家族介護を受ける事は不可能で、お金もなければ詰む。
同じ高齢者でも『子孫や後続世代に迷惑をかけまい、社会・人の役に立ちできるだけ自分で頑張ろうとする人格高潔な好かれる人』もいれば『高齢者をとにかく労われ、今の若い者はダメと言いながらも要求・依存する傲慢な人』もいるが、『老後に至るまでの人間的・経済的・倫理的な生き方の総決算』が降りかかる面もある。
成長の楽しみや未来のある育児と回復・成長の見込めない末期の介護とでは大きな違いがあるが、『手厚い長期介護』というのは人類の歴史では王侯貴族でもそれほど経験したことのないもので、近代以前には権力・財力があっても老衰・病気には事実上抵抗する手段がなかったので、加持祈祷などやっている内に亡くなっていた。
育児と介護を含めた人生設計をどうするか、自分・配偶者・親の年齢から逆算して考える事も大切だ。『自己中心的でケアに不向きな人・他人の世話を今までやってこなかった人』にとって、ダブルケアの負担はかなり重い。現代人は未婚化・少子化・恋愛低調など含め『人の面倒を見ること』を特に負担に感じやすくなってもいる。