25歳はまだ若者で方向転換できるが、時間の流れは淡々として無常、『本番と認識しての努力』で何を得て何を実現したいかが重要になる。
人生に「助走期間なんてなかった。ずっと本番だった」匿名ブログに考えさせられる 「いつのまにか撤退戦なのが人生」
人生の難しさは『本番と認識しての努力の結果・充実感』と『助走期間と認識しての試行錯誤のプロセス・充実感』のどちらがより自分にとって価値が高いのかはっきりしない事でもある。抜き差しならないリアルの本番に押しつぶされれば、最悪は死ぬが、『本番への特攻=無条件の価値』と思い込めれば幸せなり。
学生期間が延長されて、決定的な社会的・対人的な選択をしない現代社会のモラトリアム(選択猶予期間)や大人になることの拒絶(ピーターパン症候群)などとも関係するが、『リアルの本番の生活もまた同じ日常の繰り返しになりやすいこと』にどう自分なりの意味づけや変化をできるか。
『本番と認識しての努力』そのものに無条件の価値や感動があるわけではなく、そこには『恋愛や結婚・社会貢献・子供や未来』などに対する肯定的なイマジネーションに根ざした自己洗脳のナチュラルな深さが求められる。気負い込むのは危うく、年齢・平均に拘りすぎるのも危うい。納得できる自己の行動基準を地道に確立すべきだろう。
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