現実が過酷で寿命が儚った昔は『死後の世界(天国・復活・浄土等)』や『因果応報(悪人は死後苦しむ)』は人の心の救済だったが、唯物論の科学主義は死を無意味化しやすい。
【夏はオカルト】死後の世界は本当に存在するのか 死にかけた祖母が三途の川を見た話
死後の世界が存在するのかしないのかは『今の自意識を持った自分と他人の間』では、客観的証拠に基づく答えはでない。死ねばあの世に生き、先に死んだ人と再会でき子孫を見守り、物語的・歴史的な意味が継続すると考える事が心の救いになるか、死ねば全て無になり何も残らないが良いとするか、生命観や意味解釈の差である。
平均寿命が延びて感染症で死ににくなった現代であればこそ、個人の生命はある程度の時間の長さを持てるようになったが、それでも人一人の生命の長さや影響力は基本的には儚く弱いものであり、10年や20年といった歳月は矢のように飛び去っていき、共に時代を生きてきた者も死んで去っていくが、絶対に時や命は戻らない。
死ねば全てが無になり、自分や誰かが頑張って生きた痕跡もいずれ消え去るという空虚さに、人は自分の生の労苦・短さ(善が虐げられ悪が栄えた理不尽)を考えて納得できないからこそ、『救われる死後の世界・消えない永続する観念・善悪の報いのある因果応報』が様々な形で考想されてきたとは言える。
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