共同体は『嫌なら抜ける・落ちた個人は切る・自腹を切らない』では長く続かない。『人の選別・価値観・哲学でつながる共同体』は余裕ある時期の拠点に近いだろう。
作家が4人で同居?渋谷で始まった共同体とは。「一人でも生きていける」40人が19部屋に
『愛情がないのに金銭や子どもを理由に離婚できない仮面夫婦』は嫌なものだが、『常に好きな人・刺激を受ける人だけに囲まれて相互扶助も機能し続ける共同体構想』というのは非現実的なユートピアニズムだろう。『理念・哲学・価値観』だけの共同体構想の多くは長期持続性を持たず内部対立か自然消滅の経緯を辿りやすい。
現代には情緒(愛情・帰属・楽しみ)と経済(生活・収入・保証)の両方を十分満足させる共同体は存在しないが、それは過去の農村共同体でも同様であった。持続的な共同体は常に『生活・生存の必要性』に裏打ちされていたわけだが、それは共産主義でも『生産手段の共有・生産物の分配』が前提にされていた事とつながる。
『理念・哲学・価値観』だけの共同体は、そこに所属し役割を果たさなくても『食べていける別の収入源』を持つ人に限定しないと成り立たない。そういった人は多くない。『地縁血縁・会社・農村』と比較すると『嫌でもそこで役割を果たす義務感・強制』がない、それは個人主義的にハッピーだが互助集団として脆弱である。
ライトなコミュニティなら、外で仕事して『好きな人面白い人とだけ関わる・生産基盤を持たない・面倒な役割や労働の割り当てがない』でもやっていけるが、それが何十年間も継続するかは微妙だ。熱意ある初期メンバーが老いて集団に生産基盤(収益配分)がなければ子以下の世代まで強い帰属と貢献は残らなさそう。
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