別れを切り出す恋人を憎悪する惨めな感情はありふれたものだが、殺傷事件まで起こすのはある種の愛着障害・情動制御障害に近く、自分の精神的自立ができていない為に相手に人生を依存し過ぎている。
自分が切り捨てられたようなケースで(DV・無職・借金など自業自得な理由も含め)、別れた相手の幸福を願う無償のアガペーに到達できる人は男女共に少なく、回復や整理に時間もかかるかもだが、究極的には『他人の心・選択を思い通りに動かすことはできない』というのは交際していても結婚していても同じと気づけるか。
男性でも女性でも『誰と付き合って誰と別れるかの自己選択権』を持つ。本人が最終的な意思決定したならば、それを無理やり暴力や脅しで覆させることは一時的に可能に見えても、結果として不可能であるか犯罪になるだけである。『近しい他者の自由意思・自己決定』を認められる人になれるか否か、大人でも大きな課題だが。
本当に好きなら、別れても利用されても『相手の幸福のため』に何でもできるかというと、現実的には別れて別の男(女)と付き合って生活のお金が足りないから貸してくれと言われて、それで貸してあげるかというと大半は貸さないだろう意味では無償のアガペーにも限界があり、各人個別で分かれて自己責任で進む道がある。
好きな相手なら傷つけず守ってあげるべきという意見もあるが、男女の仲の別離というのは『別れの後も友人的な関係』を引きずることもあるが、基本的に『二度と会わない・連絡も取り合わない・親しく話す機会もなくなる』ということを含意するので、守る云々でなく関係・接点がない人になってしまう可能性が高い。
その時々で親しく付き合う異性は一人に絞るべきの『一夫一婦制の前提』が恋愛段階でもあるために、恋人や親しい仲でなくても、過去のすべての異性をずっとひきずって生きるという選択が『自分のけじめ・今の相手への申し訳なさ・過去の相手のダメさ加減』などから普通はない。若い女性の気持ちはすぐ変わりやすいものだ。
まぁ、若い人でも中高年の人でも『この相手と別れたら精神的に厳しい状況・局面』はあるが、『生きていけないとか別れるなら殺すとかいう極端な別れ恐怖』は、自分自身の能力・魅力・自立度が不十分である為に起こる心理だ。『その人以外にも魅力的な異性は幾らでもいる現実』はあれど、捕まえる自信を失えば落ちる。
一定の年齢段階や人生の展開に至れば、別れに際して自分と相手が生きるか死ぬかという不穏な精神状態に陥る『エロスとアニマが主体の恋愛』は終わることになるし、恋愛のトラブルが少ない人はエロスとアニマではない『現実的・生活密着的・互助的な異性関係』が多い。魅惑的・性愛的な異性像の幻影に酔う恋愛は危険も多い。
その人の顔・姿・目を見つめるだけでうっとりのぼせ上がったり、性的な刺激や陶酔が異常に強く依存的になったり、心がかき乱される魅力・欲望にのめり込む型の恋愛こそ近代的ロマンティックラブの醍醐味だが、恋愛の自律神経の異常興奮は健康にも正常な精神にも悪影響は多い、エロス・アニマの行き過ぎは狂気を胚胎する。
エロス・アニマの行き過ぎはマニア(狂気)を胚胎するという意味合いで、処世訓のようなものとして『一番好きな相手(異性としてのめり込んで心が縛りつけられる相手)とは結婚しないほうがいい』的な言い草もあるわけだが…日常生活共有でもエロスやマニアが過剰な関係というのは、おそらく身も心も持たず差し支えが生ず。