○シモーヌ・ヴェイユは神・真理につながる美(美への服従)として『美しいものに対する支配・所有』でない『美しいものへの憧れによる自己否定(無力・醜さ自覚)』を説いた。俗な男女の美学に転換すると多義的なアイロニーの面白さもある。屈服するほどの対象の美の知覚ができるのは、自分に華ある若者より中高年かも。
美はただ一つの究極的なものであって、人間の果たすあらゆる努力の中に存在すると説明されるようなシモーヌ・ヴェイユの美とは享楽的な異性愛の美とかではなく、神の全知全能の顕現としての美を無条件で礼賛するようなものである。世界で唯一、手段ではなく目的としてあるものが美とするヴェイユの感性は面白い。
古代の哲学は『真・善・美』を追究する学問とされたが、真・善が理性・倫理の対象であるのに対して、美だけが感性・感情の対象となっている。確かに、現実世界で美が人間の行動に与える影響は、真・善よりも大きい可能性があり、感性の美学も軽視できない。自然・芸術・人間(異性)の美に、人は時に自発的に屈服する。
○安室関連で40歳で人生の区切りの話が多いが、平成元年生まれが30歳に近づく今、昭和50年代の生まれというだけで、いわゆるロスジェネ世代の層は現役世代の前線から背景に退きつつある。若者も同年齢人口を100万ギリギリまで微減した、新社会人・学生に生年を聞いて平成7年や9年と聞くと昭和は本当に遠くなった。
戦後レジームの転換や憲法改正の必要という時、40代以上の世代の基準軸は「昭和」にあるが、今の学生や新入社員の世代は、生年が平成10年に近いほど歴史の針が進んでいる。平成元年生まれさえ中年に近づく。そのズレは普段は世代間コミュニケーションの内容として露呈しないが、確実な社会・歴史の変動要因だろう。
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