○「結婚できない・結婚しない・常識適応の違い」と「結婚・子のための努力(他の切捨て)をできるか」が大きい。人間性というより「人生観・同調性・環境要件」が違う。
「40歳過ぎで結婚したことがない人は人間性に問題がある」に異論続出! 「全く関係がない」「そう言う人ほど失敗している」
http://mixi.at/ad5FdMF(08月11日)
自分の時間を確保するために非正規雇用を選ぶ人もいるが、結婚しない事は「それ以外の行動の選択肢(確実に一つの場に身体・時間を拘束されない)」を担保する面もあり、自由至上主義・厭世的な一処不住や行雲流水の掴みどころの無さがある。その掴めなさを、人間性・社会性の怪しさや常識・義務からのズレと見る向きはある。
社会経済的な事情や家庭環境の問題などいろいろな周辺状況もあるので、人間性に問題があるとは言えないが、好んで結婚しないのであれば自由主義・個人主義の度合いが強く、他人のために自分の全てを捧げるようなタイプではない可能性は高く、恋愛・性・家庭による自己洗脳の度合いも浅くなりやすく覚めやすい人でもある。
○ただしイケメンに限るな意見が多いが…こういう時にザ・イケメンで冷たい人本人が出てきたら面白いのに……だがリアルでも意外にイケメンや美人は、恋愛談義などであんまり深い意見は言わず、話し相手としては物足りない人が多い。
「優しい男」がいいのに「雑で冷たい男」を好きになるのはなぜ?
http://mixi.at/ad5MXAK
例外はあるが、一般受けする美人やイケメンで人生哲学や社会問題、セックス論(進化論や自然選択など)で、面白い深みのある意見を語ってくれる人は少なく、言葉で説明するよりもビジュアルで分かってくれみたいなどちらかというと控えめな人が多い。メールも短文が多かったり、ブログやSNSでも読ませる文章は少ない。
○明治以降の日本史では「明治維新・太平洋戦争・戦後復興・全共闘」などで若者層(幕末志士・青年将校や若手農民・学生運動等)が「暴力化した正義」を行使することで、暴走・愚行も含め「歴史的転換点」を生んできた。平成に入り高齢化・高学歴化が進むと逆に「若者の非暴力化・常識人化」が顕著になり、歴史の動きも変わった。
現代は暴力が禁圧された平和と正論の世界になりつつあり、戦争や革命、思想行動の狂信どころか、ハラスメント(個人間の強制・暴力)も厳しく規制される流れがある。それは大局として善なる変化だがかつて歴史の大潮流を形成してきた若者層(旧若衆組的)が既存の大人世界を突き崩そうとした悲喜劇は起こりづらくなった。
国内の西南戦争にせよ、外国とのアジア太平洋戦争にせよ、その導火線に火をつけたのは「国内の格差・屈辱・不公平」に憤った旧若衆組的な大人世界の常識を力で崩そうとするエネルギーで、西郷隆盛でさえ薩摩私学校の若衆の反乱の熱に押され西南戦争の神輿となった。太平洋戦争の正義心に燃える狂信的な青年将校も然りだった。
○海も波が無ければ昔は遠泳で島から島へ1キロ程度泳ぐ人はいたし、刑務所を脱走した男もかなりの距離を雨の降る夜に服を着て泳いだが、ちょっとした波や潮流、筋収縮であっけなく死ぬのが海の怖さ…肩以上の深さになると基本危ない。
水難事故:各地の海や川で相次ぐ
http://mixi.at/ad5IiFF
運が良いのか、浮かぶ泳ぎのセンスがあるのか、中にはライフジャケットなしで沖合いに流されて、24時間以上、漂流してから船舶に救助されたような事例もある。沖に流されてすぐに死ぬケースは多いが、数時間以上、自力で浮かんで流される人もいるので、沈まない・疲れない浮かび方のコツを身に付けておく事も大切かも。
しかし、海は足がつかない深さの沖合いまでちょっと流されただけで、結構メンタルが弱くなって、50メートルくらいでも「もしかしたら死ぬかも」とパニックになって自分で溺れる人が多い…実際、自力で泳いでも離岸流で跳ね返されると恐怖感は出る。脱走した若い囚人の男は、夜間に1キロの遠泳、メンタルは相当強そう…
○同じ40代でも組織人や家庭人として責任・目的ある地位にありそれに専念できれば苦悩は減るが、個人的な美観や人への欲を出せば迷いや苦しみは増えるだろう。
“40代の生きづらさ”に共感多数「癒しを見つけないと心が持たない」「服装もメイクも正解がわからない」
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40代以上になると役割や位置付けのないむき出しの個人としての価値や魅力はどうしても落ちる。自分自身の美観の理想や好みの異性への欲望にとらわれても次第に無駄な抵抗になるがこの苦悩が強いか弱いかは仏教で言い古された「我執・煩悩の強さ」に相関する。本来は世のため人のために生きる方向への転換が求められる。