○新元号の菅官房長官の発表会見が予定よりだいぶ遅れていたが、新元号は「令和(れいわ)」に決定したようだ。規律と平和という意味か…「令」の漢字は確かにほとんど予想に出ていなかったですね。昭和と重なる「和」をもう一度使うのも想定外でした。
令和の出典の説明をざっとしていたが、日本の季節や花の美しさを平和のイメージで詠んだ「万葉集」の歌にあるようで、日本の古典・和歌集が元号の出典になるのは初めてのことである。令和の話し言葉としての語感・響きは、平成と比べると固さ・整然性を感じるかも。元号のイニシャルはRになるのかな。
令和の「令」は「命令する・言いつける・決まり」などの字義だが、出典になった万葉集の歌の令月では「よい・素晴らしい・立派な」の字義で解釈される。意味も響きも硬質・厳格な感じが強い。
新元号は「令和」(れいわ) 万葉集典拠、国書由来は初 (朝日新聞デジタル – 04月01日 11:58)
「令」は同じ音で、「玲(清らかで美しい)」や「怜(賢い・いつくしむ心がある)」などのより良い字義の漢字もあるが、これらは令の漢字から派生した漢字で歴史が浅い。恐らく日本の古典にも中国の四書五経にも、「玲和・怜和」の出典がなくて勝手な漢字利用になるので使えない。また画数が多くなることも敬遠される。
○閉鎖的環境で一人の異性だけに愛憎を募らせて悶々とするタイプの人はストーカー化しやすいが、この手のストーカー殺人犯は「自分だけ何年も苦しめられて相手だけ楽しんでいる被害妄想」で異常な行動に出やすい。
杉並保育士殺害 逮捕の同僚、一方的に恋愛感情か (毎日新聞 – 04月01日 06:01)
実際に被害者女性にアプローチして振られたとの情報も出ていないが、勝手に6年間も片想いして、相手が自分になびかず他の男に行ったからと逆恨みしたのなら迷惑極まりない話ではある。普通に考えれば、男女が同じ環境に何年も一緒にいて何も男女の仲への発展可能性がないなら、女性にとっての好みから外れているだけである。
ストーカーにも「いったん付き合ってから(結婚してから)別れてストーカーになる人」と「何の関係もないのに片想いでストーカーになる人」がいる。後者は少なく、殺人までするのは前者の元交際相手の方が多いのだが、男女関係に関しては「どうして自分の所に来ないのか?」を本気で考えたら病的な犯罪者思考になりやすい。
恋愛や結婚に関しては深くあれこれ悩んでいる時に良い結果はでないし、悩んだり苦しんだりしても、基本的に相手には何の影響もなく逆に嫌われやすい。「なぜ自分の所に来ないのか?」で何年も思い詰めるのも馬鹿げた話で、少しでも女性に好意があれば何らかの接近や遊ぶ機会がある。ない理由は「好みじゃない」だけが多い。
男女関係は不思議なもので、強く執着して思いこがれるような人からは大抵好かれず、上手くいく人とはそんなに丁寧に接さなくても、短期間でトントン拍子で深い仲になることが多い。無論、極端に印象・感じが良くて一目惚れしたような相手というのは、他の男にとっても魅力的なことが多く、表面的な親しさからの発展が難しい。
被害者女性は、誰に対しても優しくて人当たりの良い女性だったようで、加害者のような職場以外で女性と交流することのなさそうなタイプの男性を、閉鎖環境で勘違いさせやすかったのかも。「同僚としての感じの良さ」は「異性としての欲望」を向けると、途端にそっけなく変わることがあり、愛憎を煽る要因になることがある。
○拷問・虐殺・公開処刑・連座(一族抹殺)など、過去にも現在にも最高度の恐怖と威嚇で犯罪や反体制・反宗教を押さえ込もうとした国・部族・宗教はあるが、現代日本より治安が良くなった成果はない…。
不倫と同性愛行為は投石死刑 窃盗は手足切断 ブルネイ (朝日新聞デジタル – 03月30日 17:08)
イスラム原理主義国家のブルネイに行く日本人は少ないだろうが、窃盗の初犯で右手切断のようなので、くれぐれも冤罪や嫌疑には気をつけて行動を。日本から水着グラビア掲載の雑誌を持っていて公共の場で見ていれば、それだけで公然わいせつとかで逮捕され長期拘束やむち打ちもあり得る。女性の服装にもうるさくリスクがある。
現代で反人権的・反自由主義的なシャリーア(イスラム法)を導入するのも恐ろしい話だが、イスラム教は男尊女卑と伝統主義、女性の性の禁圧、恐怖支配、反自由民主主義の前提から完全に解き放たれることがなく、現代の欧米や日本の価値観とはあまりに異質である。直接的な宗教の強制力と信仰が極めて強く言論の自由度も低い。
だが、世界人口に占めるムスリムの比率は上昇を続けていて、将来的にはシャリーア採用までいかなくても、世俗の論理や利害だけでは通用しないイスラム圏の範囲はかなり広くなる。日米欧の自由の弧の脅威はかつてソ連や中国の共産主義だったが、今は市場経済化した中ロよりも、イスラム原理主義との対話と要求に難しさがある
○昭和後期以前は高齢者の識字率(特に書く)が現代より低く、細かな敬語の知識を持っていたのは日本社会でも上流階級に近い人だけで、農業中心の時代には問題視する人も必要もなかったが…
「感心しました」は失礼! ビジネス上級者でも間違える敬語の落とし穴5選
今でも地方の高齢者・一次産業の多くの人の言葉遣い・敬語は、現代のサービス業のアルバイト・パートよりも格段に適当というか、老婆のテレビ向けの一人称も「おれ・おら・わ」などで標準語の畏まった正式の敬語をきちんと使いこなす人は余りいないだろう。敬語は昔より今の方が正誤ゲーム的に意識化されやすくなっている。
敬語とは何なのかは、元々は天皇の最高権威からの上下関係や身分秩序を言葉だけで示す形式的なルールで、そのルールを知っているで貴族的・文人的な教養・身分の有無を計った。高貴と下賎の区別の嫌らしさは、マナー講義の意識にもつながる。現代の敬語はビジネスマナーの一部として、人の形式的な品や意識を計りがちである。
複雑なルールを持つ日本語は、特に言葉遣いや語彙の多寡から、品性・格式・教養・家庭環境(生まれ育ち)を推測されやすい言語でもある。近代化以降は、標準語圏で理解できない地方のきつくて荒い方言は、都会的な洗練と品性、慎みから遠いとの類推から、差別やいじめの原因になることも多く、言葉に格付けしやすい。
現代では、都会・標準語と田舎・方言の言語による格付けは一昔前より無くなっているが、権威的な立場から語られる「敬語・マナーの正誤の認識」によって、オフィシャルな教養・品性・態度・儀礼的適応を推測したがる向きが強まっているのかもしれない。有職故実ではないが、知らなければ無知で恥の意識を強めたいのかも。
○飛鳥・奈良時代からの天皇は中国の皇帝を模して、平安時代に文治・律令制を確立しようとした。だが源平の武士の台頭・武断主義によって朝廷と律令制は実質的に瓦解して、天皇は中国の皇帝のような官僚を従える専制君主としては形骸化した。天皇は権威と叙任のみの存在へ変質したが為に、易姓革命で滅ぼされる運命を免れた。
中華文明とそれに従った朝鮮のような儒教・華夷秩序の国の価値観は、武力で外国を屈服させる武断主義ではなく、権威と学問(科挙の官僚)、礼制によって格付けで上下を決める非常に強い文治主義・権威主義である。中華文明の原理とは、実力と無関係に中国皇帝を専制権威として絶対化し、他を勝手に序列化するものである。
中国皇帝は朝廷で科挙の官僚を従える専制君主となったが、王朝の創始者の将軍的な人物から世代を経れば経るほど、武力による実力支配を野蛮であると軽んじて、学問と権威による徳治・教化の支配に傾いていき、「皇帝権威・礼制を無視する北方遊牧民」に武力で蹂躙されたり漢民族の王朝・皇統を滅ぼされたりしてきた。
近世以前、中国や朝鮮は日本を華夷秩序の通用しない武断主義・実力競争の野蛮な国として軽蔑したり恐れたりした。たがシニカルにも儒教的な文治や科挙などが徹底しておらず、天皇と朝廷が形骸化して武士が実権を握る日本の方が、中国が理想とした天皇(君主)の断絶しない誰も逆らわない絶対権威が長期維持されたのである。
日本の近代化の成功要因として、科学的思考や実利的価値観をスポイルする中国的な科挙・官僚制を徹底して退けたことがある。中国文明がなぜ近代化に極端な遅れを取ったのか、国家の中枢をただの作文家・文飾だけの科挙官僚が牛耳っていて、新しい知識や技術、制度を取り入れる方向に頭脳を使えない守旧派しかほぼいなかった。