○「気に入らない要素」や「劣等・問題のある差異」を見つけ、正義感を前提に叩くいじめがコメント欄でも再現。いじめ解決の難しさは、「いじめられても仕方ない奴(悪い点を自覚して治せ)の認識」が共有される心理にもある。
中川翔子 いじめ自殺無くすため“隣る人”の重要さ訴える http://mixi.at/aeFKp5O
いじめにも「被害者に落ち度・劣等がほぼない完全な娯楽型・利益獲得型のいじめ」もあれば、「嫌なことをされた・悪口・嘘や騙し・金を盗んだ・弱い癖に生意気・不潔など(内容の是非はともかく)何か加害者なりの理由づけがある対抗型・制裁型のいじめ」もある。後者は、加害者は正義感に似た感情でいじめるケースが多い。
いじめ問題は内容・程度・心理に幅の広さがあり、いじめとは何かを一概に定義しづらい。「人の嫌がることを意図的にする」を広義のいじめと定義すると範囲が広くなりすぎてしまう。昔は個人対個人の無視・言い争い等ならいじめではなく、個人対複数の場合のみ(力の差が明確な場合のみ)がいじめといった定義もあった。
いや、「人の嫌がることをするならそれは全ていじめだ」という主張もあり得るが、それだと「笑顔で機嫌よく優しくやり取りしてくれないと、俺(私)は不快で嫌な気持ちになるからいじめじゃないか」と言えるかというと、逆に「そこまでの配慮・機嫌取りを強制するならあなたが独裁者でいじめてるのでは?」の意見も正論だ。
他人に嫌な思いをさせず(相手を軽視無視していると受け取られる言動もせず)、他人の気持ちを傷つけないように振る舞わないと、いじめになるのかというとそれは「関係性ごとの程度問題」としか言えず、普通は親身に相手することは義務ではない。「意図的な無視・極端な無表情や無反応」ならいじめと解釈されることもある。
○主に男性側の姓を婚姻によって継続させ、女性側の姓を消滅させるというのは、近代以降の日本の制度・慣習に過ぎないが、「男性原理・男系のイエ」の方が戦争可能な近代国家に都合が良い面があった。
進次郎氏、滝川さんとの選択的夫婦別姓「可能性あった」 (朝日新聞デジタル – 09月09日 20:58) http://mixi.at/aeFLci7
地位・戦争・労働を担う男性(夫)と子供を産んで夫を支える女性(妻)の婚姻の図式と皆婚制が結びつくことによって、例外なく国家・戦争・経済・労働に家族(夫婦)の単位で自動的に献身する国家システムができあがるという近代国家側のメリットはあったが、現代はそれらの前提・価値観が根底から崩れてもいる。
○船戸雄大被告の動物のような子殺しの行動原理が怖いが、優里被告も逮捕後の顔がうつ病的で確かにロボットのような意志の弱さを感じる。結愛ちゃんが5歳で文字を書けたため、ノートに残された文章が悲しいな — 目黒女児虐待死 検察側、母親の優里被告に懲役11年求刑 (毎日新聞 – 09月09日 15:47) http://mixi.at/aeFWMxA
小さな子のいる女性が新しい男と交際したり結婚したりして、虐待事件が起こるケースは多いが、「自分以上に子供を大事に育てる約束」などを固めて暫く育児・感情制御の様子を見てからでないと同棲・再婚の決断にはリスクがある。自分の子でも子育てはストレスで、男みんなに乳幼児の連れ子の子育て適性があるわけではない。
ただ小さな子供がいる社会経験も職業キャリアも乏しい若いシングルマザーだと、実家がしっかりしていない限り、経済的・精神的な不安定さで、近づいてきて初めは優しい男に対する評価・見方の基準がどうしても下がりやすい。
子連れという理由だけで、(自分には無理と)恋人・結婚相手から外す若い男性も当然多いが、それでも近づいてくる男は、「本気で相手が好きで子供ぐるみで背負う覚悟がある男」であれば良いのだが、「その女性がただ性的に好きなだけで子供を邪魔に感じる(自分の子供だけしか可愛がれないと感じる)男」であれば殺人までいかないにしても、虐待事件・子供の居場所がない家庭になりやすいリスクが高くなる。
小さな子連れの女性と深くかかわったり一緒に住んだりというのは、常識的に考えればかなり長期的な負担と我慢を覚悟する必要があるし、「子供を可愛いと思う感受性・絶対に子供を邪魔者扱いせず一緒に楽しく生活するという信念」がなければ、自分が犯罪者になり女性と子供を巻き込みながらみんなを不幸にする結末を招く。
○他者(著名人)の自殺報道や自殺の物語・創作に影響された若者の「群発自殺」は、近代メディア社会のメンタルヘルス問題だが、中高年・男性の自殺者数・比率は常に圧倒的に多い。
ネットフリックスが問題のシーンを削除 「10代の群発自殺」増加とメディアの影響 (AERA dot. – 09月04日 07:00) http://mixi.at/aeAczVL
10代の群発自殺も、元々うつ病やトラウマ(PTSD)、適応障害(居場所がない)などメンタルヘルスの脆弱性を持つ10代の人たちが中心で、すべての若者の自殺関連の報道・ドラマなどが悪影響を及ぼすわけではないが、「悲観的・自己否定的な認知の助長と実際の自殺行動の後押しのリスク」がある。
ただ現代人は「なぜつらくても生きなければならないのか?」について「先祖崇拝・あの世・因果応報などの否定」で生命倫理が軽薄化して、「地べたに突っ伏しても生きるサバイバル」は苦手になった。自分の生命が自分だけのもの(歴史的関係的・霊的に切断された生命)と考える時、過酷環境における自殺リスクが有意に高まる。