○日本の治安は過去最高だが「ゼロリスク社会・他者の最適化」の高度な理想で逆に体感治安は下がる。ホラーハウス化というか「異質排除・保守化」だろう。
— 「不審者」扱いされる父親、前兆となった「マンションであいさつしないルール」
誰もが通報されるリスク (ウィズニュース – 01月15日 06:50) http://mixi.at/a1RNwFG
先進国が男性原理から女性原理にシフトしている影響も、「知らない他者を過剰警戒(事前排除)する社会」と親和的な面はある。挨拶したり雑談したりすることで、自分が「知人・声をかけても良い人」として認識されると「ストレス・距離感調整など面倒な人間関係」に巻き込まれるかもと思うメンタルになりやすい。
現代人は忙しい人が増えたこともあるが「興味関心・利害関係のない他人に対する想像力」は低下していて、端的には「どうでもいい人が大半だから、自分の人生や家族に関わって欲しくない(自我の延長範囲で収まる気に入っている人だけで構成される心地よい世界・邪魔者がいない人生を作りたい)」と考える人が増えたのかも。
こういった考えはかつてのコミュニティ重視の社会であれば、「協調性・共感性のない社会不適合・自己中心的な人」として否定的な反応が返ってきていたので、改めざるを得なかったが…近年は「挨拶・雑談・付き合いをする他者の選り好みとシャットアウト」が近所付き合いまで含めて恋愛レベルの選別をする人が出てきた。
現代社会で孤独や格差、貧困などが問題になっていても解決できない要因が、「興味関心・利害関係のない他人はどうでもいい(自分に一切の迷惑や負担をかけられたくない)」という「自分に好ましい他者だけで構成されるゼロリスク社会の理想化」にもある。このメンタルや他者排除、人の選別は現代の社会問題の底流にある。
○https://blogos.com/article/430424/
おじさん世代の人口ボリュームが多いからか、「そこそこ成功したおじさん向けの記事」と「ひきこもり・孤立・貧困など閉塞するおじさん向けの記事」が増えた。「おっさん」と呼ぶと攻撃的だが、男性受難・おっさん受難をテーマにした本もある。
「居場所のないおっさん」とあるが、ウェブのバズワードで「キモくてカネのないおっさん」が自虐的にランクインしたこともあり、仕事・お金・心理・人間関係や家族・異性などの面でシビアな中高年(女性もか)は増えているのだろう。「父親や家長・上司・裕福・インテリ・ダンディなどのポジショニング」も減少した。
そう考えると、40~50代以上で意気揚々と生きているタイプは「仕事・家庭・人間関係が充実している社会適応型・常識人のタイプ」か「知性・文化・思想や教養・資産などで自己の存在意義の根底を固めているタイプ」かが多い。若い頃にはおじさん世代は眼中に入りにくいが、普通に陽気に働き生きているおじさんはタフだ。
「完全に開き直っているなるようになるさのケセラセラ型」のおじさんもいるかもしれない。中年期の危機のニュースもあったが、「年齢だけで仕事から弾かれる・お金がないと相手にされにくい・若い人からはアウトオブ眼中」など地位・財力などを抜きにした自分のみでは他者・社会から認められにくくなるのは、裏返せば「干渉されない自由」でもあるが。
○https://blogos.com/article/429649/ 小熊英二氏の日本人の心と労働に対するクリティカルな指摘。「日本では多くの人がリスペクトされていない(承認・愛情・役割の不全)」と「外国人材から見た魅力度ランキングで日本は63ヵ国中51位(賃金面の魅力なし)」は深刻な問題だろう。
○https://blogos.com/article/430287/ ひきこもりは若者の問題から中高年の問題(60万人以上・8050問題)へと推移している。40代以上で被雇用から脱落すると(若い頃から無職・バイトも)厳しい。元々性格や生き方が社会・状況に適応的でない人は行き詰まりやすい構造がある。
○https://blogos.com/article/430300/ キャッシュレスの次にマネーレスが来るの仮説は多い。だが「貨幣経済の普遍性」に「信用経済・物々交換の個別性」は及ばないので、よほど生産力が飛躍的に増大し人口が減っても維持できるシステムにならなければ、マネー消滅までには至らないかも。
貨幣経済を改廃するためには、いつでも生存のために十分な資源・モノ・食料がオートマチックに生産・供給されるような「人の負担・不満・不公平感がほとんどでないシステム」が完成されないと無理。ただ自動経済でない信用経済は「人気者や社交家が多くの支援を受けられる経済」で貨幣経済よりある意味で格差は大きくなる。
○https://blogos.com/article/430385/ コミュニケーション心理学や会話術は、ビジネス関係では即効性があることもあるが、会話術のみで個人対個人の関係性を制御するのは難しい。加藤綾子氏ならニコニコしているだけで大半の人が好意的に接するだろうが「初期の構え」の問題が大きい。
会話術のセオリーとして「自分が話す」のではなく「相手の話をとにかく聞く」もあるがこれも実際のコミュニケーションでは大して役に立たないと感じる人は多いだろう。大半は「初期の構え・関係設定」で、相手によほど興味・好意がないと、そもそもそんなに連続的に長く色々な話題で話し続けてこないのでゆったり聞けない。
会話術では「自分のことを話さずに、相手の話を徹底的に傾聴すれば、好印象を与えられて関係が良くなっていく」がセオリーで、恋愛心理学でも「聞く技術」に触れることは多い。だが「数十分~数時間以上にわたって対面で話し続けてくる(聞いてほしい)相手」は、その時点ですでに親しい友人か恋人未満の相手が多いだろう。
明石家さんま・笑福亭鶴瓶・内村光良など職業上のポジションや関係性がある人における「コミュニケーションの達人論」としては参考になる部分がある。職業・仕事のつながりがある上位者・有名人で、その人に認められる喜び・利益のある相手であれば、「場を和ませるコミュニケーション技術のセオリー」は大いに役に立つ。
○ミシュランガイドは「美味しさの評価」ではなく、世界的認知度の高い「権威的な高級店の格付け」である。美味しければ良い、お客が入れば良いなら、ミシュランの星は要らないが…ある種の名誉の価値。 — 仏ポール・ボキューズ、三つ星失う ミシュランガイド (朝日新聞デジタル – 01月18日 16:38) http://mixi.at/a1UYMoA
ミシュランガイドは「容易に模倣できない食材(その加工)・技巧・味・装飾にこだわる店・料理人の共通認識されやすい名誉・権威」のようなものである。「ミシュランガイドと権威ある高級店の価値・歴史は相補的である」ため、「取ろうと思えば取れるけど(どうでもいいから相手にしてない)」は言い訳と見られやすい。
ただ日本であれば明らかに洋食店よりも、寿司・うなぎ・和食など非西洋型の店舗のほうがミシュランガイドの星の評価は甘くなりがちで、総合的な創作性のあるフレンチのコース料理のほうが、高級店・高級割烹として名前の知れた寿司屋や料亭よりも日本で三ツ星を取るのは格段に難しそう。