笹井芳樹副センター長の職場での死:小保方晴子氏のリケジョのキャラをメディアで押し出した理研の杜撰さ

STAP細胞研究は小保方晴子氏というリケジョなキャラを全面に立てて発表したため、研究不正の発覚後に『悪目立ちの副作用』が大きく出たが、『理研の意図的な研究プロモーション』に慎重さが不足していた。

<理研>笹井芳樹副センター長が研究棟で自殺 現場に遺書

STAP細胞という科学研究の画期的な成果を、マスメディアを通して一般向けにわかりやすくプロモーションするために、理研は小保方氏というタレントを利用したが、『小保方氏の研究者としての能力・誠実さ及び論文内容の査定』が甘すぎた。感情も大きく関与する『人と人の関係』では科学的視点も鈍りがちだが、指導者としての笹井氏の甘さも含めて、研究不正を後押しする形になってしまった。

『研究・データ(エビデンス)ありきの科学』を『人の印象・マーケティングありきの科学』のように悪乗りした理研は、科学研究機関としての本分を自ら商業主義・大衆迎合で踏み外したのかもしれない。ゼロ年代の政治はショー化したと揶揄されるが、科学もまた客観中立性・実証性の縛りを自ら緩めたくなる誘惑に晒されている。

世間の関心は、小保方氏の研究不正の認定とSTAP細胞の再現性の見込みの低さが分かった頃から、『STAP細胞はない可能性が極めて高い』という納得により弱まっていた。笹井氏の自殺がなければ、一般レベルではSTAP研究や笹井氏・小保方氏への関心は相当に弱まっていた可能性も高かったと思う。

しかし、世間にとってSTAP細胞研究やその関係者が興味関心の対象ではなくなっていっても、笹井芳樹氏にとっては自分の処遇や評価、研究環境の変化も含めて『これからが正念場の問題』ではあったと思う。当事者性を欠くメディアの視聴者にとっては、所詮は他人事だが、本人にとっては人生・キャリアの厳しい転換点である。