石原さとみも深田恭子のように後で化けたタイプと感じる。芸能人は自分の魅力を陶酔的・説得的に語ってくれるファンを増やすのも仕事。ファン向けの魅力語りの記事だが、記者が無防備な清純派のイメージがとにかく好きな事は伝わった……。
石原さとみは清純派というよりは「見られている自分のイメージ」を制御するぶりっ子な感じのほうが強い。芸能人という外見とセルフイメージを売る人気商売を選んだ人が、ありのままの「無防備・無邪気」という事は有り得ず、「自分が可愛く(綺麗に)見える表情・態度・話し方」等はキャリアの中で研究し尽くしているもの。
「失恋ショコラティエ」は殆ど見てないが松本潤と石原さとみのファン層に訴え掛けるカメラワークとストーリー展開であり、二人の外見的・(役柄の上での)性格的な魅力を引き出すための工夫がある。好きな俳優ありきの作品ではあるが、AKBと同じく石原さとみも「親しみのある庶民らしい可愛さと色気の演出」の人気かも。
「大人の色気・可愛いセクシー」といった概念には余り意味はないと思うが、「厚い唇・潤んだ瞳・適度なふくよかさ・可愛い喋り方」等はセクシーさの要因。単純に人並み以上の容姿の人が明るく表情豊かで好意的に接すれば、大半の男は「可愛い・魅力的」と感じるもの、表情・目線の豊かさ・見つめるだけで何割か魅力は増す。
「じっと見つめる・潤んだ瞳・優しい声かけ・積極的なスキンシップ・性的部位の強調」は媚態であり、好きでもない人にそういった目線や表情を無差別に向ける事は「男(女)に媚びてる」として批判されることも多いが、芸能人は仕事としての媚態がある。芸能の媚態を抜きにした容姿だけを取り出せば、評価は辛くなる。
「あの芸能人・アイドルはそんなに美人ではない」は「媚態を抜きにした客観的な容姿・スタイル」だけを評価にしたものなので、その芸能人のファンの心には響きにくい。熱烈なファンはDVDなどを繰り返し見て「一般人にない計算と努力をされた媚態(笑顔・親しみ・共有体験等)」を受け取る事で魅力が嵩上げされている。
こういった魅力の嵩上げの心理は、芸能ではない一般人の恋愛に対しても十分に起こり得る。媚態は伝統的な日本文化では、九鬼周造が芸者の媚びの洗練を評した「粋の構造」そのものなのだが、「自分だけに見せる豊かな表情・目線・笑顔・愛嬌」などを繰り返し受け取ることで、その人への贔屓の心、情愛の深まりが作られる。