日本人の多くは現状ではグローバル人材にはなれないし、日本企業の多くもグローバル企業としての市場開拓やブランディングに大きなビハインド(人材不足も含め)を負っている。
これまで日本国内の『市場(内需)』にかなりのボリュームがあったため、日本人の大多数はわざわざ言葉が通じず社会インフラの整備も遅れている外国に出て行く必要がなかったし、日本企業の多くは国内のトップ企業(インフラ事業者)としてシェアを占めるだけで十分な売上・利益を上げることができ、他社との競争環境も今ほど厳しいものではなかった。
人・モノ・カネが国境を越える経済のグローバル化と日本の超高齢化社会の到来による市場縮小が不可避な既定路線(賃金下落の圧力要因)としてのしかかることで、世界のどこにいっても働けて暮らせる『グローバル人材』の夢が膨らんでいる。しかし、話し言葉としての外国語(英語・中国語など)をある程度身につけたとしても、『日本で働いて得る賃金』以上の賃金を外国に移住して稼ぐことは簡単なことではないし、そもそも欧米の先進諸国の失業率は日本よりも高いという問題がある。
グローバル化をチャンスに変えられる理想的なビジネスパーソンとして想像されている『グローバル人材』というのは、ハーバードやオックスフォードなど世界ランキング上位にあるような大学を卒業して、『多国籍企業の幹部候補・国連組織など国際機関の職員・バイリンガルな専門職や研究職のキャリア』などに就職するトップエリートを指しているようだが、より現実的な視点で考えるならば『海外に行っても何とか働いて生活できる人材のレベル』をグローバル人材として受け止めるべきだろう。
更に言うならば、将来的に超高齢化と社会保障の負担増加に耐え切れなくなった日本が移民政策にシフトした場合に、『日本語だけで適応しづらくなってくるビジネス・仕事環境』に、それなりに勉強して適応しはじめる人材も広義のグローバル人材になってくるだろう。
片言であっても何とか外国人とコミュニケーションしながら商品を売る販売員、散髪をする美容師、売込みをする営業マンなどが、未来のグローバル人材の多数派になる可能性のほうが高い。大勢の日本人が、『多国籍企業・外国の大学・国際機関・専門家』の中枢を占めるキャリアを踏むようなグローバル人材になることはないだろうし、そのための関門は(今までの日本国内の学歴競争・就活とは異なるレベルにおいて)あまりに狭く労働環境もハードである。
日本の労働環境(雇用条件)には、ブラック企業をはじめとする劣悪な環境や違法行為も指摘されるが、それでも日本は『治安の良さ・インフラの整備・生活の自由度・消費文化とコンテンツの享楽度・国民性』などの面で世界トップレベルの暮らしやすい国ではあり、日本人の『内向き志向・日本語ベースの生活』はよほど切羽詰った状態か日本人人口の激減に追い込まれない限りはそうそう簡単に変わらないだろう。
政府の教育再生実行会議は、現在の外国語活動から正式な英語の教科化(英語のみで英語の授業を行う明治期に主流だった正則教育)にシフトする方針を示し、『読み・書きの受験英語』だけではなく、ネイティブな指導員を配置して『聴く・話すの実用英語』の教育を強化していくという。
経済のグローバル化に適応して国際競争に打ち勝つグローバル人材を育成する『国家戦略』の中心に『英語教育』を置くという発想は分かりやすいが、日本人が英語で流暢で高度なコミュニケーションができない最大の理由は、『日本国内にいる英語圏の外国人の数』が圧倒的に少ないから(国内では英語を話さなければならない相手・場面も必要もほぼ皆無だから)であり、端的には日本が今まで移民政策を取らずに日本語だけで通用する単一言語・単一民族の社会を制度的に維持してきたからである。
そういった外国人・外国語が殆ど混入してこない社会環境では、どうしても英語も中国語もフランス語も『生活・仕事のための必須のツール』にまではならないので、一般の人たちが学校の勉強以外でそういった語学を高度なレベルにまで習得しようとするモチベーションは低くなる。仕事や生活で必要性がなければ、『一部の語学好き(文献好き)・外国好き(外国文化志向)』しか、継続的に外国語を学ぶことはないからである。
経済のグローバル化の一層の進展によって、日本やアメリカなどの先進国に生まれただけで新興国・途上国の人よりも裕福な生活(多くの所得が得られる仕事)ができて当たり前という時代は少しずつ終焉に近づいている。
来るべきグローバリズムの未来の雇用・市場・言語環境では、『自国語・外国語の運用能力』+『専門分野の力量と経験』がエンプロイアビリティ(雇われる能力)と稼得能力、移住可能性を規定してしまうようになる可能性が高い。その時代には現在以上に『新たな事柄を学び続ける意志・意欲のレベル』が問われ、英語や中国語などは国際的に通用する専門性を証明するための前提条件に過ぎなくなり、今以上に雇用情勢や就職活動は厳しさを増す恐れも強い。
いずれにしても、『経済のグローバル化』は『世界規模の競争条件のフラット化』につながるので、現時点において平均所得・生活水準が高い豊かな先進国の人たちにとっては、『グローバル人材・子どもの英語教育の夢』は格差社会の不安や母国に安住しづらい落ち着かない状況、終わりのない学習・努力(最新知識のアップデート)の必要性を暗黙裡に意味するものでもあるのだろう。