イタリアの『ナンパ文化』と日本の『傷つきたくないシャイな文化』:知らない異性とのコミュニケーション機会の少なさ

日本文化の暗黙の了解で『知らない相手とは会話しない』があるので、日本人のナンパの多くは『男側の下心丸出し か女側の鉄壁の防御(無視)』に陥りトークそのものを楽しむのは難しい。

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日本人がナンパできるのは『集団でいる時・酒を飲んだ時・非日常的な場面(旅先とかリゾートとか)』等に限られイタリア男のナンパの事例のような『日常生活の中で知らない異性との気軽な会話を楽しむ・話題のきっかけやもてなしの姿勢を自分から作る』というスタンスは取れない。公共圏での男女の距離感の文化・歴史も違う。

日本ではナンパが苦手なシャイな人、傷つくのが怖い人が多いにも関わらず、声をかけたら関係を持ちたいとか付き合うとか『ナンパの目的のハードル』はシリアスで高い傾向がある。ただその場で楽しく相手を喜ばせる会話をするという目的だけでは声を掛けず、相手の容姿・服装等を褒めるというリップサービスも通常ない。

イタリア人は『相手の魅力や長所を大げさなほど持ち上げて喜ばせる』とあるが、日本人はこの種のコミュニケーションは概ね苦手な傾向かも。手放しで相手の容姿や魅力を持ち上げるのは日本では『オタク・アイドル文化(芸能人の信者的ファン)』が典型だが、好きなタイプの異性を賛美・支持したい欲求は現実では抑圧されがちである。

好きな相手に気楽に好きと言える、付き合うとか関係を持つとか意識せずに『好意・賞賛・支持の言葉』を伝えて楽しくコミュニケーションできるというのは、本当は下心のあるご機嫌取りというよりかは、自分自身が幸福感を得られる近道でもあるんですけどね。

実際は、なかなか褒め言葉でもストレートに相手に話したり、相手から受け止めたりして貰えることは少ないわけで、そういった『愛したい褒めたい欲求(可愛いねとか綺麗だねとかかっこいいねとか)・肯定したい欲求・受け入れてもらいたい欲求』といった心の隙間を埋める産業として、芸能界やアニメ・ゲーム、夜の飲み屋などがあるのかも。

ナンパの男女関係の話はともかく、イギリスのパブやアメリカのバー、フランスのカフェといった『公共圏での社交的討論的なスペース・政治的影響力』も、日本では誕生することが無かった。人間関係一般でも『ウチとソトの論理』はあるが、『公共圏におけるコミュニケーション機会・新たな薄い接点』は日本社会の課題でもあるのだろう。