イスラム国(ISIS)と欧米諸国・日本との政治と価値観の対立:欧米主導の国際社会・法規範を否定するイスラム国

米国と英国、フランスが中心の自由民主主義圏の有志連合としては、自由も人権も認めずテロ・侵略・虐殺で勢力拡大するイスラム国を放置することはできないが、日本にとっても未来の集団的自衛権の運用に関わる問題になりかねない。

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イスラム国の侵略活動やテロ行為、民間人・異教徒の殺害に対して、日米欧は『国際社会に対する挑戦』と強く非難するが、イスラム国の過激派勢力や狂信者からすれば『現代の欧米主導の国際社会の破壊・転覆(近代的・啓蒙的・男女平等的な価値の否定と宗教規範への転換)』が目的なのだから、非難の主旨が伝わらない。

宗教政治の問題点は、依拠する規範原則が『人の作った憲法・倫理』にあるのではなく、『神の言葉とされる聖典・慣習的な宗教法(シャリーア)』にあることで、人の生命や自由を守る為の法という欧米のローマ法・啓蒙思想を淵源とする考え方がないこと。神の意思・秩序や伝統的慣習の解釈次第で人の生命・自由があまりに軽くなって粗末に扱われてしまう。

欧米世界が形成してきた近代の価値は、自由主義・民主主義・人権思想に集約される。WW2後は特にJ.S.ミルの『他者危害原則』が立憲主義の元で承認され、『他者に危害を及ぼさない限り自由(誰からも侵害されず)』の価値が広まったがイスラム国はこんな個人の価値は当然に否定するし、宗教国家建設の為の戦いと反欧米の理念(それによって生じる人間の犠牲)を正義にしてしまう。

イスラム国の兵士・協力者の残虐行為を、欧米諸国と日本は強く非難するが、彼らとは余りに『歴史認識・価値規範・人権と宗教のバランス』が違い過ぎて、共通の討議の土台を作りにくい。イスラム国の制圧が難しいのは、過激派でなくても周辺諸国にはイスラム国の宗教国家建設の理想には共感している国・人が多いからでもある。

日本は遠いアラブ諸国との宗教・価値の対立からは距離を置き、経済的相互依存とエネルギー供給源として丁重に接してきたが、集団的自衛権行使や憲法改正はその距離感を変える可能性がある。イスラム国の恐ろしさは、国際法そのものの理念を否定し、空爆・軍事制裁をする国の一般民間人を殺戮すると宣言している所にもある。

○ヘイトスピーチの問題と法整備

日本に限らず中国・韓国も欧米も『特定の国・民族に対する憎悪や怨恨』を言葉にし共有・確認していると、騒擾・衝突が起こった時に具体的な集団暴力・虐殺・戦争として行動化する下地となりやすい。

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政治的なヘイトスピーチはじめ、憎しみや怒り、怨恨、嫌悪は言葉・文字にして誰かと共有する事で精神的に維持・強化されやすくなる。『敵・味方の区別の明確化』を前提とする攻撃性・対立意識が常に高まる。敵とみなした人や勢力を人間扱いできなくなる(属性の違いで対話不能な敵になる)ような感覚と言動の変化も、将来の人権侵害にまつわる不安要因になってしまう。