S.キルケゴールの婚約破棄(宮廷愛の純化)と神の愛(無条件性)へのベクトル

『死に至る病』を著したセーレン・キルケゴールは、哲学史では実存主義哲学のパイオニアといった位置づけに置かれるが、キルケゴールは神と単独者である人(私)が向き合おうとするプロテスタント的な信仰者でもある。『死に至る病』という書名そのものも、キリスト教の新約聖書『ヨハネの福音書』に由来するものであり、その副題は『教化と覚醒のためのキリスト教的、心理学的論述』となっている。

『死に至る病』とは自己の存在根拠を喪失するという『絶望』であり、『実存(自己の意識・存在価値を認識し評価する存在形式)』として存在する人間は誰もが絶望せざるを得ないが、絶望からの究極の救済は自我を捨てきった宗教的段階において為されるとした。

キルケゴールのプロテスタント的な単独者としての思想性がどこから生まれたかには諸説あるが、有力な仮説の一つはキルケゴールが『肉体のトゲ・大衆との分離(特権意識)』によって、当時交際していた17歳のレギーネ・オルセンとの婚約破棄によって『キリスト者(普遍者)への宗教思想的な傾倒』が強まったというものである。

キルケゴールは24歳の時に、14歳のレギーネ・オルセンと出会って一目惚れしたというが、現代であればロリコン傾向であるが、10代で結婚する者も多かった1837年の時代背景を考えれば珍しいことではなかったのだろう。レギーネが17歳の時に婚約して18歳になる直前に婚約破棄をした。その理由が『肉体のトゲ』という抽象概念であり、キルケゴールの病跡学(パソロジー)の研究によると肉体のトゲというのは、彼の先天的な身体疾患(慢性脊椎炎・てんかん)か性病の梅毒の可能性があるとされる。

キルケゴールは異性関係では潔癖な男であり、婚約していたレギーネとも一回も肉体関係を持つことは無かったが、人生でただ一回だけその交際期間中に娼館を訪れて娼婦を買ったことがある。

キルケゴールが婚約破棄の理由とした『肉体のトゲ』と並んで語られるのが『懺悔者・大衆の生活様式からの分離(労働・結婚に裏打ちされたまっとうな市民の生活・幸福からの思想的離脱)』であるが、懺悔者というのはこの娼館に一度行ったことを指しているのではないかと言われる。彼はその宗教的な罪悪によって何らかの感染症に罹患したのではないかとの恐れを抱いていたともいう。

プラトニックラブは哲学者の裏エピソードの恋愛観念に関わることが多いが、女関係で快楽主義の放蕩・遊興を尽くしたアウグスティヌスが『回心』によってプラトニック・ラブから神への愛に意識を向け変えたように、キルケゴールもまた懺悔者としての経験とレギーネとの精神的な恋愛・婚約破棄から『神への無条件な愛』に意識を転換させていった。

中世~近世ヨーロッパ(特にフランス王宮)におけるプラトニックラブ・純愛思想の面白いところは、フリーな男女の自由恋愛における精神主義よりも、既婚者に対する肉体関係を伴わない精神的な慕情・忠誠・詩文(恋愛感情のテキスト化)のようなものに高い価値を置いていたことである。

最も純粋な恋愛感情の発露は、未婚者(フリーな相手)よりも既婚者(性的に接近できない相手)に対するプラトニックラブであるとされ、哲学史や政治史、宮廷社交会において『宮廷愛(不可能な愛)』というプラトニックラブ概念が確立・発展していった。

少し前にあった上戸彩主演のテレビドラマ『昼顔』も似たようなところはあるが、肉体関係の不倫も関係しているので厳密には宮廷愛の定義からは外れる。宮廷愛とは満たされないプラトニックラブであり、愛の詩や行為の忠誠に象徴される騎士道精神を介した『昇華』でもある。

構造主義の精神分析家ジャック・ラカンは『想像界の生身の女性(接近可能な女性)』は『現実界の理念的な女性(接近不能な女性)』と比較するとその魅力や価値は限定的なものに留まる(性的な情熱・生活の時間はいつか終わるが精神的な情熱・思想的な理念は永遠に終わらない)が、一般の男女においては『異性の個体・肉体に付随する性愛や生活、加齢など』が人生そのものと見なされることによって、想像界のほうが現実界よりも(有限・特殊ではあるが)リアルなものと解釈されるとした。

宮廷愛(プラトニックラブ)における異性は『現実界における普遍性』をまとい、その価値は普遍的かつ永続的な理念性を帯びるが、恋愛・結婚における異性は『想像界における特殊性(肉体を持つ者の有限性)』をまとい、その価値は暫時的・可変的ではあるが人間の欲望(他者の欲望の欲望)を最も強く引き出す。

キルケゴールは人間の結婚にまつわる生の段階を『美的段階の恋愛・倫理的段階の結婚・宗教的段階の破婚』という3つの段階に分け、破婚(婚約破棄・離婚)を有限性や不完全性を超えた『宗教的段階=神の愛・無条件的な博愛』の入口として定義した。

この段階説にはキルケゴール本人のレギーネとの婚約破棄・別離(破婚)による『接近不可能になったレギーネの観念化(神格化)』が影響されているともされ、実存主義というのはフリードリヒ・ニーチェもそうだが、その思想・発想のきっかけはかなり人間臭い思想家本人の経験に基づいている部分がある。

キルケゴールの恋愛の観念は、ジャック・ラカンの構造主義的な精神分析からも読み解くことが可能だが、また時間があればこういった実存主義の思想の解釈や応用についての記事も書いていきたい。