近代香港の歴史は、イギリスからアヘン輸入を強要される不条理な言いがかりをつけられた『アヘン戦争(1842年)』における清王朝(中国)の屈辱的な敗北と永久割譲によって始まった。第二次世界大戦中の1941~1945年には、軍事侵攻した日本軍の軍事行政下に置かれたこともあるが、戦後は再び1997年まで香港はイギリスの統治下に置かれた。
香港の人々は、英国流の近代啓蒙主義の民主的な政治制度や自由主義・人権思想、資本主義の経済活動の影響を強く受けることになり、中国の主権(中国共産党のイデオロギー・統制教育・強権支配)が及ばなかった約150年の間に『東洋の真珠』と呼ばれる巨大金融・貿易センターへと拡大的に発展していった。
香港は日本の東京(東証)を凌駕する巨大金融センターであり、ニューヨークとロンドンに次ぐ金融の規模を誇り、経済活動の自由度と税率の低さ・経済規制の少なさは世界トップレベル、世界各地から莫大な投資マネーと多国籍企業の出先事務所が押し寄せてくる。
一人当たりGDPは日本よりも高くグローバルエリート層が集積するが、近年貧富の格差が拡大傾向にあり財政状況も悪化しているため、中国本土からの資金援助に頼る割合は増えているとも言われる。
中国も香港の経済競争力の重要性を認識しており、香港の経済力と対外イメージを保つためには『香港の経済活動・人民の行動の自由度の保障』が必要だと考え、香港はマカオと同じく中国の一国二制度の対象になっている。香港は民主制・軍事・外交を除いた高度な自治権を認められた『特別行政区』であり、特に経済・財政・金融・起業の分野においては中国本土と切り離された相当に高度な自治(自由度)が認められている。
中国共産党は『一党独裁体制・中共イデオロギーの絶対化』にこだわるため、『中国共産党・全人代が承認しない政治権力の正統性』は絶対に認めることができない前提があり、『反中国共産党の人民の意志(反体制の野党が支持されているという現実)』が数字として出る恐れがある普通選挙(制限のない人民全般の参政権)は基本的にタブーである。
香港の首長である行政長官は、(中共の体制に親和的な)職域組織・業界団体の代表による間接・制限選挙で選出される仕組みであり、香港の立法機関(定員70人の立法会)の議員もその半数は上記と同じ間接・制限選挙で選ばれるようになっている。
しかし、香港の市民の政治認識や権利意識は、先進国の人々と変わるところがなく、イギリスから返還された直後から『欠陥民主主義の改善要求(一般市民への参政権付与・普通選挙の実施)』は行われていた。中国共産党も国際的・経済的な影響力が強い香港とその市民に対しては本土ほど厳しい対応を取ったことはなく、高まる民主化・普通選挙実施の要求に対しても、2017年の長官選挙から普通選挙を実施するという公約をしたりしていた。
今回の学生・インテリ層を中心とする香港行政長官選挙デモでは、『2017年の普通選挙の前段階』ではまだ完全な普通選挙を実施することはできないとアナウンスしたことで起こったものである。
つまり、産業界・職域組織の代表(中国共産党寄りの代表)が組織する『指名委員会』が指名・承認した人物しか立候補できないということ(反体制派・民主化指導者の被選挙権の制限)に異議申し立てをしている構図がある。
中共も梁振英長官も『2017年の長官選挙』が本当に完全な普通選挙になるのかの踏み込んだ説明をしておらず、次回の長官選挙を共産党公認だけしか立候補者がいない制限選挙にすれば、それ以降の長官選挙でもなし崩しで制限選挙が続行されるのではないかと危惧しているのだ。
もちろん、行政長官選挙の背後には定員70人の立法会議員に対する普通選挙要求も控えているわけで、中国共産党は議会までも完全に民主化する要求は容易には受け容れたくないはずだ。
情報化が進んだ現代では、中国国内の『一国二制度の特別扱い』が本土(内地)に伝わって反乱・暴動・蜂起を誘発する刺激になりかねないという警戒感もあるが、インターネットの普及とオープンな国際都市香港で起こっている大規模なデモの状況が『世界中からリアルタイムで注目されている現実』は中共にとっては無理な鎮圧(デモ排除の武力行使)がそうそうできないという相当なプレッシャーになっている。
1989年の天安門事件で、天安門広場を占拠して退こうとしない民主化運動の学生を催涙弾・威嚇射撃・戦車で力づくで排除していった時代とは、中国の国際社会に占める地位と責任は余りに変わりすぎてしまった。
中国が香港の市民・学生を仮に軍事力行使で大量に死傷させるような事態が起これば、香港の国際金融貿易センターとしての地位が大きく揺らがせられるだけでなく、世界経済への波及的なダメージさえ懸念されることになる。
デモのレベルでさえ香港から投資マネーが流出を続け香港ドルが下落し、各国メディアからバッシングされていることを考えれば、『香港の治安と自由度=一国二制度の確実な保障』に向けられる先進国の厳しいまなざしを中国は無視できず、デモ勢力・学生との対話交渉(条件のすり合わせ)にシフトするだろう。
問題は特別行政区という一国二制度における民主化要求の高まりを、中共がアドホックな段階的な普通選挙の解禁の約束だけで回避しきれなくなった時、中共が特別行政区の法的保障を維持し続けるかどうか、究極には中国共産党の一党体制を取るか中国全体の未来・発展を取るかということになってくるだろうが、『一国二制度』の原点は本土と台湾の平和的統合の前提条件にあった。
香港の自由・自治度・文化的活況が失われるのではないかという『香港の大陸化』の懸念は常にあるが、逆説的に中国本土のほうが段階的に香港化して経済的・政治制度的に発展していけないのであれば、中国(現行体制)の長期的未来はやはり暗雲が立ち込めたものにならざるを得ないとも思う。