マウンティングで優越を示したい心理と現代社会における孤独・不安(自己の存在意義の実感の希薄化)

ヒトが類人猿から進化した本能と有限の資源・権限を配分(競争の事前調整)する為の社会を持つ以上、サル山的なマウンティングの欲望や不快を皆が離脱する事は難しい。

他者との差異確認が、世俗の行動や経済・生殖の仕組みを維持してきた面もある。執拗なマウンティングは人間的な魅力を落として不快な存在として敬遠されるだけだが、「他人よりも優れた自分でありたいという欲求」はポジティブに働けば向上心や現状突破の勢いになることもある。

知らぬ間にあなたも!? マウンティング経験アリ6割以上

皆が物質的に完全に平等というのは『共産主義』が描いた夢、皆が関係的・承認的に完全に平等なのは『太古の部族共同体』にあったと想像される桃源郷だが、人は『知恵(自他参照)の禁断の実』を食べ文明・経済機構を確立した事で、『他者との差異・影響力の強弱』を巡る自己の価値づけの印象操作に必死になりやすくなった。

端的には、人間は文明社会や資本主義の仕組みにより、自分の人生や幸福に対して『孤独な自己責任』を科されやすくなり、『他者と苦楽を共有する感覚』が衰退した。不幸・貧困・絶望などの苦境に陥っても、共同体的な『苦痛の分担・慰めの承認』は得られにくく、『自業自得・自己責任』と切り捨てられる予期が現代社会にある。

自分自身の人生や生活に余裕がない事もあるだろうが、人口の増大と個人単位の能力評価によって、かつての共同体意識のような『長期的な連帯意識・苦楽の共有』は期待しづらくなり、失業・貧困・病気・生活保護などに対して『自分とは違う自業自得な人たちの問題(自分でなくて良かった)』の切り捨ての言葉を吐いて安心したい人は増えた。

マウンティングを好む人の人間観は、『自分と他人は決定的に異なる存在だという意識』や『他者を仲間ではなく競合・敵とする認識(他人はいざという時何もしてくれない)』をイメージさせるが、現代人が個人単位のサバイバル(他者との空虚な張り合い)を強いられる孤独・不安な心性に落ち込みやすい危機の現れでもある。

マウンティングは『同種の群れの中で優位な地位(物質生活・異性選択・承認欲などで優位な地位)を占めたいと願う本能』や『長期的に仲間と認識する他者の範囲が狭くなった文明社会の個人化』を背景とした『孤独・不安・虚無へのささやかな抵抗』だが…持続的な自己肯定には『他者との差異の受容』が逆説的に必要になる。

こういうヒトの心理や社会の仕組みを実際の職場なり友達関係なりで面白く話せれば、『マウンティングを支えるロジックの暴露』にはなるが、ネットよりも現実のほうが『複雑な理屈の展開』や『本質論を向けるとっかかり』は難しく、意外と親しい相手でも込み入った哲学・社会分析などの会話にはならないものではある。