翻訳記事のタイトルは“Guess Which Nation Is the Most Generous in the World”とあり、”generous”という単語は日本人がイメージする一般的な『親切さ・優しさ』とはやや語感が異なるのではないかと思う。
日本は”generousな国民性の順位”において90位だが、これは”gender equality(男女同権の度合い)の順位”と同じくらいに低い順位であり、文明的で先進的な経済大国としてはやや不本意なランキングといった印象は受ける。
単純に辞書的な意味を取っても、”generous”は『寛大な・好意的な・金などで気前の良い』といった意味である。
『日本人が外国人と比べて親切ではない』と言われると不満・反論がある人でも、『日本人が外国人と比べてあけっぴろげにフレンドリーではない(困っている人のために物質的・経済的に気前が良いというわけではない)』と言われるとそれほど違和感を感じないのではないだろうか。
社会心理学の比較実験では、日本人はアメリカ人やイギリス人よりも個人主義的な判断をするという意外な実験結果が出ているが、これは『職場・学校・地域での持続的な人間関係のない相手に対しては(一回限りの人間関係という実験環境ならではの状況では)』という前提条件がついているからである。
日本人は長らく欧米人よりも集団主義的だというステレオタイプが形成されていたが、それは『企業・学校・地域の一員としての自覚や役割が要求される場においては集団主義的な同調圧力(世間体・他者との横並び)に従う』といった意味であったというのである。
つまり、日本人は帰属・役割の影響を受けない個人としてフラットな立場で、あまり知らない他者(ここでは外国人)と向き合う時には、欧米人以上に『個人主義的なドライな判断・選択(他者の状況や思惑にそれほど配慮しない判断)』をする頻度が高いことが指摘されている。
これは、好意的・寛大なという意味合いの”generousな態度”とは正反対の態度になりがちで、日本人の場合は冷たい・攻撃的とか不親切とかいうよりは、よく知らない相手(特に外国人)に対しては、『関わりを持とうとしない・儀礼的無関心を通す・笑顔をださず声かけをしない』といったシャイで自衛的(トラブル・面倒の回避)な態度になって表れることが多い。
もう一つ、社会的弱者(困っている人)に対して、お金(物品)を気前良く振る舞って助けるという意味の”generous”においても、日本にはそもそもフィランソロフィ(慈善・寄付)の歴史的慣習やノブリス・オブリジェ(優位者の義務)としての弱者救済のエートスが根付いておらず、良くも悪くも『平等主義・勤勉道徳のタテマエにおける自己責任原理』が強くなっている。
昨年の国際比較の社会調査において、『社会的困窮者を税金(公的扶助)を使って助けて上げることに賛成である』の項目に対して、日本は欧米諸国よりも圧倒的に賛成する人の比率が少なかった。
『生活に困っている人は怠惰・浪費・能力の低さなど自業自得な部分も多く、みんなが税金で負担を負ってまで助ける義務はない』といった自己責任を追及する弱者切り捨てのようなgenerousではない意見が、個人主義の本場であるアメリカやイギリス、フランスよりも多く見られるのは衝撃的である。
高度経済成長以降の日本では、『社会全体の連帯責任(権利保護のための財の再配分・政治的な救済措置)』を否定して『個人単位の自己責任(家庭環境・生育歴など所与条件の過度の軽視と結果責任の個人レベルでの全面的享受)』を求めるような主張が強くなっており、『必死で頑張っている自分との比較』において自分に及ばない脱落・転落した他者を軽視したり切り捨てたりする風潮が見られる。
この調査では、日本人の『外国人に対する寛大さ・好意的態度(フレンドリー)・気前の良さの評価』はかなり低い残念な結果になっているが、『一般的な日本人の親切さ・サービス精神』は『与えられた職務・役割・関係性の文脈と責任感』の中でこそ発揮されやすいと言って良いのではないかと思う。
日本人の多くはシャイであると同時に自己抑制的であり、外国人をはじめ『よく知らない他者』や『関係性・役割(職務)がはっきりしない相手』に対しては自己開示をほとんどしないし自分からは話しかけていかない。欧米人ほどのフレンドリーさや明るさ、サービス精神を発揮したオーバージェスチャー気味のコミュニケーションも不得意な人のほうが多く、ある程度の付き合いの深まりがないとその人の親密さや人柄の魅力が伝わらないケースも多い。
しかし、外国人観光客でも日本人はとても優しくて親切だった、丁寧で礼儀正しかったという感想を持つ人は多い。日本人は『ホテルマン・女将さん(仲居さん)・観光ドライバー・接客販売員(店員)・警察官』といった明確な職務・役割(関係性)と結びついたもてなしやサービス精神、親切さにおいては、他のどの国よりも愛想が良くて礼儀正しい、自分が求めている反応を迅速かつ正確に優しい態度で返してくれる日本人は多いはずである。
日本人は一般にウチとソトを分けて考える傾向が強いために、オープンで明るく誰でも受け容れるgenerousな態度を発揮できる人は少ないが、『外国人の観光客に対して何をすれば良いのかの役割・立場・目的』がはっきりしていれば、どの国の担当者よりも優しくて親切・丁寧な対応をすることができる。
更に、同じホテル(旅館)に何日か泊まり続けたり、同じガイド(接客担当者)がずっとつきっきりになったりするなど一定の関係性が作り上げられれば、『擬似的なウチ(内輪)の空間』が形成されて、日本人のフレンドリーさや親密さ、会話の面白さといったものも感じて貰いやすくなるだろう。
日本人は外国人と比較してgenerousではない傾向はあるかもしれないが、街中で困っている人などに対して不親切で冷たいというわけではない。そういった印象を持たれるとしたら、言語・文化・習慣・外観などが異なる外国人に対してどのように接していけばいいのか分からないので初めから関わろうとしないという逃避的・自衛的な態度が目立ちやすいといった理由になるだろう。
日本ではよく知らない人には話しかけないという儀礼的無関心が、お互いにとっての居心地の良い距離感(相手への無言の配慮)になっていると考えることも多いが、『相手から一生懸命に話しかけられればそれに誠実に応えてあげようとする人の割合』が特別に外国よりも低いわけではない。
周囲と違う行動をすると恥ずかしいという『恥の観念』や相手から悪く思われていないか気になる『シャイな性格』の影響が強い日本では、『何かをして欲しいというお願い・何かに困っているというメッセージ・とりあえずフレンドリーな交流がしたいという親近感』を知らない人に対して発することは少ないが、そういったメッセージや態度が伝わればそれに自分なりにできる範囲で助けてやろうという人は多くいるだろう。
そういったお互いを認識してやり取りする関係性や親密さを感じられるような接点に至るまでのプロセスが、日本人は欧米諸国などの外国人と比べると多少回りくどくて迂遠であるため、『親切さ・親しみやすさ・丁寧さを感じられる距離感(関係性)』を上手く詰められなかった外国の人たちから、実際以上にgenerousではないという印象(低い評価)を持たれる恐れも当然あるのだろう。