“自分だけに優しい男性”と“誰にでも優しい男性”:異性への欲か人間性の成熟か

男女関係では『自分にだけ優しい要素』『関心・金銭等の有限リソースの優先配分』が求められる傾向は一般に強い。家族制度も『ウチを最優先する制度』だが、『男女の親密さを深める優しさ』と『人間性の現れの優しさ』はまた違うものであり、後者は人間性の成熟・洗練された対応として評価されるべきだろう。

「わたしだけにやさしい男性」と「誰にでもやさしい男性」、どちらがステキ?

他者の人格の尊重やマナー遵守、丁寧な態度や他人を不快にしない物言いなどは、社会生活の中で他人と気持ちの良い関わりややり取りをする上での半ば『常識』にもなっていると思う。

店員や他人に対して横柄・乱暴な物言いをするが、彼女(妻)である自分にだけ優しい・甘いは、優しさの評価軸というより『公的な自意識・社会的態度・接遇スキルの欠如や未熟』としての問題を抱えている。

魅力的な異性の女・男にだけ優しくて、その場限りのやり取り以上のことを求めるというのであれば問題だが、『老若男女を問わず丁寧・親切で優しい』というのは、寛容かつ柔軟な人間性、社会や他者に対する敵意・疎外感の無さ(人生・人間関係に対する肯定的な明るい態度)の現れである。人間関係のトラブルやストーカー化するような根深い執念からは遠い人でもあり、安心して人付き合いがしやすい相手でもある。

明るく爽やか過ぎる人が苦手に感じとかる、人間性が素晴らしすぎて引けめを感じるとかいうのは、僕も含めて時に生じる感情ではある。大半の人は『人間的・道徳的・価値観的に素晴らしすぎる人』は、自分の及ばなさ(劣等感)ばかりが目立って嫌だという面も無きにしもあらず……ほどほどに俗物・身内優先、私利私欲も語れる相手に安心感を感じるというのはあるなと思う。