『一般のイスラム教』と『IS(イスラム国)のテロリズム』を同一視することの間違いと危険性:多様な個人と集団帰属を分離する近代精神の成熟

『イスラム教』と『IS(イスラム国)の過激派勢力』は異なり、ISに参加していないムスリムは危険なテロリストでも武装勢力でもないというのは常識的な認識として日本人も持っておく必要がある。

IS(イスラム国)と無関係な在日の一般ムスリムに、悪意や復讐心に基づく差別・迫害・嫌がらせを行うことは犯罪・迷惑行為であり、自らの認識の間違いや人間性の愚劣さをあらわにすることに他ならない。

一方で、後藤健二さんと湯浅遥菜さんは『民間の日本人』であって、『安倍政権(日本政府)の対ISの外交政策・テロ対策の代弁者』ではないのだが、IS(イスラム国)は後藤さんと湯浅さんが『日本政府の方針や資金支援に反対する個人』であったとしても容赦なく殺害しただろう。

ここに、排他的(対話不能)なナショナリズムや宗教原理主義に接続しやすい『国家と宗教への帰属を決め付ける人間心性』や『相手の帰属情報だけで自分たちの敵だと決め付ける対話拒絶』の恐ろしさがあると見なければならない。

人口3億人を擁するアメリカ、人口1億3千万人の日本には、『アメリカ人』や『日本人』という大雑把過ぎる国籍のカテゴリーだけでは括れない多種多様な思想信条・価値観・ライフスタイル・人間関係・国際感覚を持った人たちがごった混ぜになっていて、すべてのアメリカ人(日本人)が『政府・権力者の賛同者』であるわけではなく、政権を支持していても内政・経済と外交・軍事では意見が分かれることも多いだろう。

テロリズムや民族差別、排他的な集団思想(政治思想)、ヘイトスピーチが犯している最大の過ちは、意図的か無意識的かは別にして、個人に対してその多様性・人格性・見識や価値観を認めずに、『属性情報だけを参考にした二分法(敵か味方か)の価値判断』しかできない単細胞な世界観と偏見に染まった思考様式にこそある。

『日本人・アメリカ人・中国人・韓国人・イスラム教徒』は、みんながこういった価値観やライフスタイル、敵・味方の感覚を持っているという『ステレオタイプの当てはめ+敵・味方の二分法に対する動物的・政治的な条件反射』によってその特徴は規定されることになる。

政府の公式見解・教育制度とその国で生きている個人の多様性の区別がなく、『政府・権力者=金太郎飴的な国民の画一的な考え方(○○人ならみんな○○人を嫌って敵視しているはず)』のような非現実的な見方が固定されてしまっている。

通常は、『日本人であるAさんは個人としてどのような価値観や生き方、性格の特性を持っているだろうか?』と考えながら少しずつ情報や感情を出し合いながら対話するが、テロリストや差別主義者、排他的な思想家、ヘイトスピーカーは『Aさんは日本人なのだから無条件に私たちとは合わないし話す価値もない敵である(Aさんとは対話せずに対決したりその帰属元である日本国・日本人一般を脅す材料にしてやろう)』という偏見・立場に基づく決め付けに走って、その考え方を変えることがまずない。

むしろ、個人としての日本人やアメリカ人、ムスリムを深く知っていくことは、自分が今まで築き上げてきた『敵・味方の二分法の図式』が壊されてしまうリスクを含んでいるので、集団主義の帰属に基づく偏見や差別が強い人ほど、『その集団に属する具体的な個人の人間性・価値観・生き方』を詳しく知っていこうとは敢えてしないだろう。

自分が帰属している集団(国・宗教)の利益を最大化するという行動原理から絶対に外れることがないはずというある種のポジショントークやディベートがそのまま『現実』に置き換えられているのである。

アメリカ人でもアメリカの歴史的な中東政策や世界秩序維持(手段的な軍事ミッション)、石油利権の掌握について反対している個人は数百万人~数千万人以上の単位でいるし、日本への原爆投下について米国政府は歴史の再検証をして反省・謝罪すべきだというアメリカ人もいるわけで、すべての人間が『帰属する集団の公式見解・利益最大化』に無条件でコミットして協力する(黒でも白だと言い張る)わけではなく、間違っていることは間違っているとして是々非々の判断でやる人のほうが近代国家ではむしろ多いのである。

IS(イスラム国)は、反ISの欧米諸国や中東諸国を資金援助する日本政府を敵視して、『日本政府=日本人全般』という認識のエラーを犯したが、これは政治的目的も含めて前近代的な価値観に覆われたISらしい認識ではあるものの、こういった認識のエラーを成熟した近代国家に生きていると思われていた日本人まで真似するというのはあまりに虚しい。

『IS(イスラム国)=イスラム国で生活しているムスリム全般』を更に飛び越えて、『IS(イスラム国)=(過激派でもスンナ派でもない人までごちゃまぜにして含めた)ムスリム全般』として認識して嫌がらせや弾圧、差別をするのであれば、過去の歴史に全く学べていないということになってしまうだろう。

近代の成熟の一つの要素は、『国家・宗教・権力(集団帰属のカテゴリー)』と『個人の多様性・自由権(その個人がどのような人間であるか)』の区別をつけることであり、ある国家・宗教・権力に帰属しているからあいつは味方だ(敵だ)、守らなければいけない(殺してもいい)と判断するのであれば……そういったメンタリティは自分たちが唾棄して否定している、ISに従属するムスリムでなければ殺害しても良いとするIS(イスラム国)と大差ないということになってしまうだろう。