日本の住宅費は高いが人口減少で住宅供給はダブつく、立地・年数にこだわらなければ格安物件は増える。賃貸も住宅ローンも毎月お金が出る『負債』、自分・家の収支を考慮した契約をするようにしなければならない。
実家は「出たくても出られない、檻のない牢獄」 低所得の若者の厳しい「住宅環境」
低所得であるほど『住宅・車にかけるコスト』は削り、一ヶ月の給料が必ず余る生活設計を立てるべき。家賃6万でカツカツなら、家賃4万で2万の投信積立等をした方が先で得する。資本主義社会の普遍の黄金律は『資産を増やし、負債を減らす』で時間が経過するほど通帳・金融資産残高が増えるリズムの構築を念頭に置きたい。
借金したほうがカネが稼げるという経営者もいるが、それは『借金してお金さえあれば成功の見込みがある事業・投資・設備の当て』がある場合に限る。住宅・車などの耐久消費財は『買値以上の売値』をつける事が難しいので、『自分と近親者の精神的満足+コストを上回る収入』の兼ね合いを考えることが大切。
日本の問題点は、低所得者・貧困層の『共感・連帯・共闘』がなく『既存の資本主義・企業経営・派遣労働・労働分配率のルール』を絶対的前提と見なし、低所得や貧困層であっても精神的に『社会的・経済的な上流階層(政治家・経営幹部・地主等の既得権益層)』に同一化して、お互いに軽蔑・否定し合っている事かもしれない。
お金や仕事がない人が資本主義社会で侮られやすい傾向はあるが、日本では平均所得程度の収入や職業的威信がある人は『努力や苦労をした・家柄が良い人(擬似的身分が高い人)・真面目や勤勉』と見なされ批判対象から外される。逆に弱者同士で『怠惰・無能・根性なしの粗探し』の優越感ゲームと恥の烙印で疲弊し合う構造がある。
社会的・経済的に自分の存在価値が脅かされているように感じる孤立した人が増えて、社会階層に大差がなくても『自分はあいつよりは人間的に優れている・同じ扱いをしないで欲しい』を求める傾向が顕著になった。確かに『お金の数字』と『人間的な魅力・好感』と『職業的な勤勉・有能』は各々違うベクトルの価値ではあるが。