政府(首相)や公権力が『粛々と進める』という発言をする時には、『反対派・抵抗勢力が存在するとしてもいくら反対しようとも法律と行政の執行権の裏付けに基づいて強制的に推し進めることができる(反対運動をして騒ぐなら騒いでも良いが権力は痛痒に感じず結果は決まっている)』といった威嚇や無視、傲慢の意味合いを帯びる。
地域主権や地方自治といった大義名分がハリボテであることの露見であり、国家権力の絶対性と法律執行(条約遵守)の強制性によって地域と人々が支配される“中央集権体制(権力及び多数派による不利益強制の正当化)”を理想とすることの現れでもある。
地域住民の意向や地方自治体の自主権を大幅に抑圧して、『国家全体のための負担を一自治体に無理やりに押し付ける法律・条例』は、憲法違反や人権侵害の疑いもある。
中国を仮想敵に設定した『地政学的なパワーバランス』のために沖縄県は未来永劫、日本の安全保障政策(実質的に沖縄県をダシにして対中国で団結するような国民統合政策)のための犠牲となって、米軍基地あるいは自衛隊(国防軍)基地を大量に受け容れ続けなければならないというのは、沖縄県民が日本人としての権利や地位を中途半端にしか認められていないという事にも成りかねない。
沖縄県は江戸中期以降に薩摩藩の侵攻(間接支配)を受けたが、明治の廃藩置県の流れでは、一方的な琉球処分によって琉球王国としての自治権を完全に喪失し、正に“粛々と”力の論理で近代日本に組み込まれた。
太平洋戦争においても『本土決戦の防波堤』として無謀な米軍との上陸戦を強いられ、敗戦確実な情勢下でも捕虜にならずに自害することを求められ(戦陣訓の遵守と天皇陛下への忠節を教育され)、県民の約25%が死亡する国策の犠牲となった県である。米軍の信託統治下でも沖縄県は不本意な形で、ベトナム戦争の前線基地として縦横に活用されて、北ベトナムを攻撃するための爆撃機が飛び立っていった。
沖縄県に米軍基地が必要な現状は、『中国の軍拡・広大な海域の領有権主張・攻撃的な安保政策に対する警戒感』のためであるとされるが、中国の国際社会における役割や影響力の拡大を考えれば、『米国・中国の両面作戦的な外交政策』や『沖縄周辺海域における安保上のリスクの事前排除』にも注力すべきで、中国との太平洋海域における対立姿勢を明確にした米軍に極端に付き合うことによって日本・沖縄県の利益や安全を損なうことも有り得る。
本質的な問題解決の方向性は、『中国を仮想敵とする終わりのない備え』ではなく『中国を東アジア全域の責任ある国として取り込んだ上での日中関係の改善』を進めることであり、『中国の国際法の遵守意識・人権保護の観念の強化・日中双方の教育内容の中立化(歴史対立や仮想敵の位置づけを排した未来志向の教育や人材交流のための話し合いの深化)』を直接間接に日本が支援して、中国の前近代的・軍事偏重的な性格を少しずつ修正して、日欧米の先進国水準の人権や法遵守の意識に近づけていくことである。
1972年の沖縄復帰(沖縄返還)の際にも、地域振興策などはあったが特別に国からの補償・謝罪を受けたわけではなく、本土の日本人の沖縄県民に対する直接・間接の差別(戦争被害を受けたことを国家・政府の責任とでもいうような言説は非国民的ではないか、昭和天皇を批判しているのではないかといったニュアンスを根強く含んでいた)は残った。
戦中派の元軍人や保守派の論客には、沖縄県を共産党勢力・市民運動勢力(反政府勢力)の強い、国策・安保政策に何でも反対してくる地域として、その歴史的犠牲の大きさを軽視した批判的かつ国民道徳的な物言いで切り捨てる人も多かった。
沖縄県を戦略的要地として活用しながらも、国策遂行を止める市民運動に参加するような沖縄県民のメンタリティや価値観は気に食わない(反米・親中によって日本の国益を損ねる考え方や活動ではないか、同じ日本人なら黙って耐えて国家全体の利益となる政策に協力するはずだ)といった姿勢を示す戦中世代の人は少なくなかったはずである。
戦争被害で大勢の県民が死んだことや自害を半ば強制されたことを想起したり悲しんだりすることさえも、『本土の日本人(生き残った本土の日本人)に対する当てこすり』のような受け止め方をしてきた節があるが、1950年代から沖縄返還までの沖縄県民にとっての戦時中の近親者の死は『自分の親世代』であることも少なくなく、『戦後は終わった』と言われつつも亡くなった人と直接につながっていた記憶が完全に薄れきっていたわけではないのである。
それは本物の日本人であれば国のために戦って死ぬべきという戦中の道徳規範の遵守を、本土でなく沖縄県の日本人(戦前日本においても沖縄を周縁地域の意識で見られた)が率先垂範して大量死したことに対する忸怩たる思い(国民の思想と行動の自己矛盾)、ある種の慚愧の念の反動形成でもあったのかもしれない。
中国古代の法家の思想家である韓非子(かんぴし)は、君主を除いてどんな重臣にさえも等しく強制できる『法権力の絶対性・平等性(治外法権の排除・刑罰と恩賞による人民支配)』を説き、国家繁栄と社会秩序の根幹は、人間的な心情を捨ててでも決められた法をただ粛々と適用する『法の機械的な執行』にあるとした。
商鞅・韓非子といった法家の思想を実際の政治に忠実に反映しようとしたのが、秦の始皇帝であるが始皇帝が理想とした政治は、皇帝以外の人間は『法に完全に従うだけのモノ(法の賞罰によって適切にコントロールされる社会秩序と生産力を構成する要素)』といった世界観に根ざしたもので、わずかな法令違反によって情状酌量の余地もなく斬首される恐怖政治(徳なき政治)だった。
皮肉なことに、始皇帝に法家の思想と世界観を伝授していた宰相の李斯(りし)自身さえも、始皇帝の死後の権力闘争に敗れ、厳格かつ冷酷な法の網に捉えられて自害を余儀なくされ、『すべての人は法に完全に支配され、君主以外に権利ある人(法に抗弁可能な人)などいない』という寒々とした法家思想の露となったのだが。
安倍政権は粛々と決められた法律や国家間の取り決めを実現化していく『法家の人』が多いようにも見受けられるが、憲法に関してだけは『法の厳格性の軽視』が見られるのは残念なことではある。
松田公太議員が指摘していた『憲法95条(特定の地方公共団体のみに適用される立法権の制約)』の条文を読んでみて、国と地方自治体の旧態的な力関係だけを正しいとする政治観を少し見直さなければならないところもあるのではないかと思う。
また安倍首相は学校における歴史教育(教科書内容の変更)に熱心だとされるが、歴史に真摯に学ぶということは沖縄県の悲劇の歴史を偶発的な不運不幸として見過ごしたり忘却していくということではないだろう。
憲法第95条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。