安倍首相の米議会での演説とWW2の歴史認識:日米同盟深化・世界秩序へのコミットの安保法制改革

安倍晋三首相がアメリカ議会に意気揚々と乗り込み、『希望の同盟』という新たな同盟概念の提示をして安保法制改革を通じた対米協力姿勢を明確化したことで、安倍首相はオバマ大統領と米国の有力議員に満面の笑顔とスタンディング・オベーションで迎え入れられた。

首相演説、野党が一斉に反発

日米同盟における軍事的な片務性を解消して日本の人的・経済的な負担レベルを引き上げること、アメリカ・中国のG2体制においてアメリカへの無条件の傾倒を半永久的に保持すること、自民党手動の安保法制改革は正に米国との同盟関係さえ良好に維持できれば日本の将来は約束されているという『楽観的希望の同盟』に依拠したものなのだろう。

『憲法改正運動+日米同盟深化(グローバルな安保への参加)』の背後に、日本にもっと欧米主導の世界秩序維持のためのコストを肩代わりして欲しい米国からの強い要請があることを伺わせる。

改憲・集団的自衛(欧米型の世界秩序への協力)を是とする大義名分として、『世界の平和秩序確立への貢献+日本の安全保障環境悪化の過度の協調』もあるので、表立った平和主義からの反論に対しても、自分たちさえ良ければよいのか、日本さえ戦争と無縁であれば良いのか(憲法前文にも示される国際社会に対する責任を放棄するのか)のカウンターの反論が可能である。

戦後日本は、アメリカのGHQ主導の占領政策(立憲主義・軍備解体・体制の民主化・財閥解体・教育改革・農地解放など)を焼け野原からの復興のトリガーとして、軽武装路線で『戦争・軍事に振り回されない経済成長』に専心することができた。

米ソ冷戦構造の終結と米国のユニラテラリズム(スーパーパワーの単独外交主義)を経由して、『世界の多極化・反米テロの多発化・米国の内部分断(格差進行)・イスラーム圏拡大と中国台頭・米国の相対的地位の低下(ドルの低下)』によって、アメリカが日本の一方的な軍事的庇護者として立ち回る役割を放棄し始め、米国内でもテロとの戦いの疲弊で厭戦気分が濃くなった。

これからは逆に、日本がアメリカに対して経済だけではなく軍事面でも積極的に貢献することを求められる事になるが、その事を直接的に表現することは問題なので『積極的平和主義・集団的自衛権・中国の軍事リスク・世界の虐殺や奴隷化の問題』などが対米協力・世界秩序へのコミットが必要な理由(日本人が犠牲者を出すことを覚悟してでも取り組まなければならない世界への責任)として繰り返し語られることになる。

安倍首相の米議会の演説の内容は、アメリカ人にとっては両手を上げてウェルカムだろう。アメリカ単独では担い切れなくなってきた中東・アジア・アフリカ・太平洋地域での広域安全保障や世界秩序維持を、日本が自ら率先して肩代わりしたり部分的に援助したり、(それらのトラブルの内容に日本がどれくらい関与しているかの判断がどうなるかは分からないが)紛争・戦争が起こってアメリカやイギリス、オーストラリアの軍に被害が出そうな時には日本の自衛隊が友軍として駆けつけることになる。

米議会やバンドン会議(アジア・アフリカ会議)において、安倍首相は日本の歴史認識について『侵略戦争・植民地支配』という直接的なキーワードを用いずに、『歴代内閣の歴史認識の継承・痛切な反省』を示すに留めた。

わざわざ米国の議会でアメリカの国益・国民感情・コスト感覚に訴えかけるご機嫌取りのような演説をしたことから、実質的に本人のイデオロギーを自己否定する『戦後レジーム(日米戦争の敗戦によって日本の平和・繁栄・人権尊重が始まったという歴史観)』を強化するシニカルな展開になっただけのような気もするが……。

アメリカに対してだけは戦前の日本の戦争や体制、国民性を美化せずに『米国がもたらしてくれた戦後日本への恩恵』を強調するが、国内の保守層や中国・朝鮮半島だけに対してはちょっと勇ましいポーズを示したり憲法をGHQの押し付けだと言ったりする歴史解釈の二面性(この戦前日本の美化や憲法押し付け論を巡る二面性は米国の世界秩序維持にとっては利益になることなので正面切って米国の歴史を断罪しない限りは放置してくれるだろう)はどうなのだろうか。

希望の同盟論にまつわる歴史認識では、戦後日本の平和主義と民主主義の成果とあゆみを強調していたが、あたかも敗戦しなければそういった民主主義や人権尊重、平和主義のあゆみは無かったと言っているようなもので、アメリカの保守派にとっては『米国の戦争の成功事例=嬉しい歴史認識(日本が米国の占領政策の成果に感謝してくれている)』として聴こえる演説だったのではないか。

沖縄県の辺野古基地建設にしても安保法制改革・集団的自衛権にしても『日本の国民世論・国会議論』よりも先に『アメリカとの約束』を優先して、今年の夏までには絶対にどうにかしてみせますと強調する姿勢は、既にして日本の民主主義制度・代議制の軽視のように感じるのだが、当事者である国民の意見や困窮の訴えはあまり聴いてくれないのに、オバマ大統領や米国の有力者の声にはセンシティブに素直に反応するのは問題である。

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