鳩山元首相の『尖閣諸島』に関する発言と中国の尖閣諸島への領海侵犯1:国境と領土問題の本質を考える

鳩山由紀夫元首相が、『中国の立場=中国側が解釈する戦後の領土返還範囲(カイロ宣言が含む範囲)』を忖度した発言をして、与党や世論、ウェブで大バッシングを浴びている。鳩山さんの政治思想は『空想的な世界政府(アジア政府)を前提とする平和主義=包括的な人権保護のディシプリンに従う諸国家・諸民族』に基づいているので『現実にある国民国家の枠組み』の斜め上を突っ走っていき、そもそもまともな議論としての現実の土台を欠いている。

政治評論家や社会批評家、文学者などの職業であれば、鳩山元首相のような『理想状態の政治・相手の立場に立った持論』というのも面白い人道的なアイデアであるし、『国民国家の領土』よりも『ユニバーサリズムの人権』を上位に置くという思想は確かに、(それにすべての国民が同意するというありえない前提を置けば)領土紛争や民族紛争を殲滅するような思想の原理論的な射程は持っている。

しかし、残念ながら現実に生きている人々の多くは『理念的な地球人・世界人』ではなく、『どこかの国・民族に帰属する国民(部族)』として生きているのであって、少なくとも21世紀の前半のうちには『内と外を切断して内部で利益配分しようとする国民アイデンティティ(共同体的意識の範疇)』を無きものにすることは不可能である。

確かに、国民国家と呼ぶべき政治単位は『自然的・物理的・必然的なもの』ではなく『人工的・教育的・思想的なもの』に過ぎないとも言えるのだが、『統治権力・言語・歴史・土地・外見の共通性などでグルーピングされた集団』が自己集団(自国)と他者集団(外国)を区別して、自己集団の身内を優遇して他者集団の知らない相手を排除しようとする動物的な本性そのものはおそらく人類には克服することができない。人類全体の敵となる先進文明・兵器を持つ宇宙人(人類と別種の知的・戦闘的な生命体)の軍隊でも襲来しない限りは。

17世紀のウェストファリア条約で国民国家のフレームワークが誕生し、19世紀の幕藩体制(分国体制)の消滅で『日本人』としての自己アイデンティティが国民教育と世界情勢によって形成されてからは、人類の多くの構成員は自分が生まれながらに所与の国・民族に帰属する存在であるという自己規定をするようになった。

だが、その国民の自己規定が右翼的(国粋的・滅私的・敵と味方の世界認識)になりすぎることによって、『徴兵・常備軍・思想統制教育・国家の宣戦布告権』に基づく『戦闘機械』としての近代国家が、世界大戦や民族・宗教戦争をはじめとする大規模な個人の殺戮を引き起こしてしまうことにもなった。

鳩山さんのような東アジア共同体や世界政府のようなボーダーレスな国際世界を理想とする『ユニバーサルな突き抜けたリベラリスト(国家と国民が結びついている現実を無視したリベラリズム)』は、『福祉機械にも戦争機械にも成り得る近代国家+国家が人命よりも優先する国境』への国民のこだわりを全世界的に弱めれば、世界が平和で友愛的になる(領土・過去・思想を巡る戦争を無くせる)という原理原則の想像力だけが先走っている状態である。

現時点あるいは数十年先までのスパンにおいて、実現不可能な理想状態や理念的な自己アイデンティティを仮定して、政治家(元政治家)が『自国の国民が信じている国家の物語的な価値(鳩山元首相のケースでは国境・無人島の領有権)』を否定すればどうなるかは言うまでもない。私人である思想家であれば空理空論や理想主義をベースとした自分が理想とする未来を訴える言論活動を行うことは何ら問題がないが、元首相という消せない肩書きを持ったまま『対立的外交での揚げ足取りの要因』に成りかねない発言をすればバッシングは免れないということになる。

鳩山元首相はリアリズムが求められる『政治家』になるのではなく、イデアリスムで共感を集める言論活動でも許される『思想家(文筆家)』になるべきだったのかもしれない。彼の財力やアカデミック・キャリアがあればそういった風流人のような思想家になることも難しくはなかっただろうし、リアリズムの上で有害無益な発言をして叩かれ続ける状況も避けられただろう。