映画『海街diary』の感想

総合評価 81点/100点

看護師として早くから働き妹たちを支えてきたしっかり者の香田幸(綾瀬はるか)、自由奔放に恋愛を楽しみながら男運に恵まれない香田佳乃(長澤まさみ)、スポーツショップのおじさんと付き合う個性的でマイペースな香田千佳(夏帆)の三姉妹の元に、母親が異なる中学生の妹・浅野すず(広瀬すず)が加わって、それぞれの人生や内面が入り組んだ四姉妹の共同生活がスタートする。

父親も母親もいない美人四姉妹の旧家での日常生活や人間関係の変化を描いた映画である。『父・母・子が揃う伝統的な家族形態』に依拠できなくなっている人たちの増加を背景にして、精神的・生活的な自立や女性同士の相互扶助を迫られる『現代を生きるある種の女性像(親・男に依拠することが困難な女性の居場所づくり)』に対して、戯画的な象徴とドタバタな関係を通してフォーカスしようとした作品のようにも見えた。

港町の穏やかな風景の中で、四姉妹の人生の悩みや葛藤が語られ、色々なトラブルが起こったり新たな事実が分かったりするのだが、綾瀬はるか演じる長女の香田幸は『擬似的な父親(三姉妹を支える経済的・精神的な柱)』として機能しながらも、普通の女性としての人生を歩みづらくした『潜在的な親(子を捨てて女・男を作り身勝手に家を出た二人)への怒り』を抑圧している。

潜在的な親への怒りは、『父親の死の知らせ』によって行き場所を失って弱まり、父の後妻となっていた女性の演技的な泣き顔や発言によってある種の白けた感情へと変化する。その父親が残していた一人娘が、中学生の浅野すずなのだが、実母は既に死去しており、後妻というのは『父の三番目の妻』であり、田舎町ですずは非常に肩身の狭い立場に立たされていた。

帰りの電車を見送ってくれた寂しげなすずの姿を見て、三姉妹は『きょうだいなんだから、私たちと一緒に鎌倉で暮らさない?』と気軽な感じで誘い掛け、少し迷ったすずはすぐに『行きます』と返事を返したが、自分の父親が三姉妹を裏切って苦しめた過去についての罪悪感を抱えている。

『父の死を知った母親(大竹しのぶ)との久々の再会』によっていったんは怒りが爆発するものの、歳月の経過と母の老い(父が不倫で家を捨てた当時の母への共感)などを改めて認識し、『今更変えようがない責めても仕方がない現実』として受容する方向に向かう。

旧家の名義は母親のままで、10年以上ぶりに帰ってきた母親は未だ『自分の所有する家という感覚』を持っていて、古い家と土地を売り払ってもっといい場所のマンションでも買えばという気楽な提案をして、香田幸の激昂を買う。

大叔母(樹木希林)の取りなしによって、長年実質的に家を守って三姉妹の生活を支えてきたのは幸なのだから、この家は家を出て行って音沙汰もなかったあなたのものではない(家をどうするかは幸たち姉妹に決めさせなさい)ということに母親も納得する。母親も元々家に帰ってきたいわけ(財産としての家が欲しいとか)ではなく、別の場所に生活拠点を築いているので、娘たちと一緒に共同生活するなどの選択肢を持っているわけではない。

『海街ダイアリー』は長澤まさみが彼氏と朝の部屋でまどろんでいるちょっと色っぽいシーンで始まるが、それ以外にそういったお色気シーンは殆どなく、むしろ父親にせよ夫にせよ彼氏にせよ、『男性の安定的な存在感の希薄化(持続的な男性の支えの欠如)』が前提になっているというコンテンポラリーなプロットになっている。看護師の綾瀬はるかも、不倫関係にある医師の男性の海外への誘いを断り、当面は姉妹と共に生きていく道を選ぶことになる。

異母妹で頼るべき親族を失った浅野すずは、自分の存在が『三姉妹を苦しめる原因の発端』になったという自責・自己否定の念に駆られているが、父親とすずを切り離して自然に受け容れてくれる三姉妹に対して次第に心を開き、『新たな自分の居場所』を作っていく。

子供時代から行きつけの定食屋のおかみさん(風吹ジュン)ががんでなくなるのだが、ここでも長年連れ添った夫の姿というものがなく、友人のリリーフランキーがそれとなく精神的な支えになっている構図になっている。四姉妹それぞれの生き方や葛藤、関係を通して、家族関係の複雑化や標準的とされるライフスタイルからの逸脱を乗り越えて生きようとする女性の自己受容の物語といったテイストの映画である。

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