自分と正反対の生き方をしている人に感じる“影(シャドウ)”の元型・タトゥーに対する偏見はなぜ強いのか?

自分とは正反対の生き方や考え方をしている他者に、人は強い“反発心・優越”と同時に“ずるさ・憧れ”を感じやすい。この無意識の元型をユングは『影(シャドウ)』と呼んだが、『人の好き嫌い・類は友を呼ぶ・異質性排除やいじめ』を理解する時に振り返りたい概念。影となる他者を受容できない自我の未熟さを人は抱える。

なぜ無意識領域に、自分と異質な他者を寄せ付けず排除・非難したくなる『影(シャドウ)』が生み出されるのか。理由の一つは、人の人生は『あれもこれも』ではなく『あれかこれか』の選択的淘汰であり、自分と極端に異なる生き方や考え方をしている他者は『自分が捨てて生きられなかった反面の要素』を必ず伴うからである。

『温厚な人柄・カタギ意識+ファッションのタトゥー』と『粗暴な人柄・チンピラ意識+威圧の刺青』の区別が難しい事が問題の本質。まだ日本はヤクザでなくともアウトロー文化との相関は強い。

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本人がおしゃれだけの為と言っても、ワンポイントを越える大きさの目立つタトゥーを入れれば、一般社会ではカタギとは見なされにくい。『不良文化圏への関与・粗暴な仲間関係や価値観の存在』をどこかイメージさせる間接的な威圧感(機嫌を損ねれば面倒くさそうな指標)として機能する事が嫌悪・敬遠の原因となる。

確かにタトゥーの絵柄・意匠のデザインや入れる場所・面積によって、『アウトロー性の印象』は大きく変わる。ワンポイント(小さめ)や優しい印象の絵柄にすればファッションの一環として受け容れられやすくはなる。『背中全面・肩から両腕・龍虎や仏像など和彫りの絵柄』のタトゥーは日本文化では威圧要素を払拭できない。

自分が他者に『こういう人間・集団の一員として見られたい願望』は、無意識的にせよ服装・髪型・装飾品などに現れる事も多い。『悪そう強そう・背景(組織)がありそうに見える外観』を整える事は、車でも服・髪型でもタトゥーでも一つの市場(イケてる感)を作る程度には、かなりの数の人が自己像の強化として好むもの。

人間性を外見だけで判断するなというのは、『ただ外見だけで悪ぶっている人が大多数(実際には暴力・犯罪とは無縁)』ということでは一理あるのだが、逆説的に『自分がそう見られたい外見』を意識的にせよ無意識的にせよ、人は何らかの形で選んでしまっているとも言える側面がある。なぜそういう外見が好きかの根にある。

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