朝の出社時にお疲れ様と言う人は普通いない。帰り際に上司・同僚に「さようなら」という方が「お疲れ様」以上に違和感があるように思うのだが。『お疲れ様』は既に「好意・慰労・終業確認」で慣習化している。
最上位者も労わりが不要の『疲れぬ超人』ではないので、職位の上・下に関係なく『お疲れ様』の労わりの言葉をかけてもらえれば嬉しい人も少なくないように思う。
『ご苦労様・お疲れ様』が目上の者から目下の者に対するねぎらいの言葉だけを意味するというのも、絶対的な定説まではいかない。お疲れ様が失礼の考えは『命令者・使役者の立場からの労わり(私の為に働いてくれてお勤めご苦労)』と解釈し、主君(上位者)は下位から使役されないから労わられる理由などないというもの。
現代のお疲れ様は『使役・命令をする側かさせられる側かの差異』という擬似的身分ありきの慣用的な挨拶というより、同じ組織に属する者同士で『今日も一日それぞれの仕事を頑張って大変でしたね。皆、疲れたでしょうから帰って休まれて下さい』といった序列なしの相互の労わりや配慮、就業の開放等を伝える言葉だろう。
○武藤貴也自民党議員の『死にたくないから戦争に行かないは利己主義』という発言に、武藤議員自身の『戦死のリアリティ』はあったのか?
古代ギリシアのポリスでは国王・政治家は最も勇敢な戦士、日本も戦国時代まで武将は尚武精神の体現を求められた。自民の武藤貴也議員の『SEALDsを利己主義・臆病者と批判する言論』が叩かれるのは、近代戦指揮の政治家・将軍が『個人の武勇・肉体鍛錬』から遠ざかり権力・階級で安全圏から命令するイメージもある。
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