三葉虫、恐竜、ホモ・サピエンスと地球環境の占有者は知能と無関係に遷移した。スティーブン・J・グールドは『生命の誇らしげで断続的な進歩は、単純な始まりから分岐した真にランダムな動きで、それは有利な複雑さへと向かう予め意図された運動なのではない』と語るが、ヒトの意識の特殊さは意味追求と自己言及性にある。
F.ニーチェは意味論の根幹に『永劫回帰・生成‐創造(力への意思)』を仮定して、生の意味を問わない肯定を求めた。ニーチェのニヒリズムの超克とは、『無限の時間(瞬間)の反復イメージ+宗教的道徳的な価値転換』が示す『永遠存在の超人観念(神の死後の生の意思・生成の反復への置き換え)』に過ぎない側面もある。
ニーチェの『力(強さ)への意思』という生成肯定のコンセプトの面白さは、『生命の系譜学的な歴史性』にあるというよりも『無限の苦悩(生)に対する有限の快楽(意思)の侵食の瞬間の永続化』にあるだろう。ヒトの心理的・身体的な構造物を超越した無限の苦悩に対峙してなお怯まない永劫回帰を望む者を『超人』と呼んだ。
人間はその心理的・身体的な構造の特徴として常に『苦しみに対する準備性』を持つ。その肉体のわずか数センチを切り取られれば、どんな強靭な精神、有利な条件の持ち主も瞬時に苦に悶絶せざるにはいられない、絶対的な苦には知性も経験も成熟も議論も不要で多くは耐えられないとアルダプエルタは語る。
だが、『五感の有限の快感=月』と『苦の準備性・苦痛に耐えられぬ脆弱性=太陽』の身体基盤に根ざした力学の価値転換を目指そうとするのがニーチェ哲学でもある。『喜びに対する有限の感受性』と『力への意思・意味への意思・永劫回帰』をリンクさせることで無限の苦の大海(苦への脆弱性)を浸食できる事に希望を繋いだ。
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