『友達を選ぶ大切さ・断る勇気』の言い古されたスローガンを思う。『嫌がる事を強制される関係・人格や自由が虐げられる場』を見抜いて離れ『類友にならない自己形成・環境調整』ができるか否か…。
中学時代からいじめられ、嫌々呼び出されていたような関係なら避けるのは難しかったかもしれないが、「コワモテの先輩への憧れ・同調(外部への示威)」や「やりたいことがない故の不良集団への参加」などで、思わぬ不幸や犯罪に巻き込まれてしまうケースも多い。少年問題に限らず反社会的勢力の人間関係にも共通する構造である。
とはいえ、「保護と従属のアンビバレンツ(自分よりも有力な相手・団体に従う代わりに保護を受ける)」というのは、社会構造や人間関係の至るところに顔を覗かせる普遍性も持つ。「一人では生きていけない人の弱さ」をどういった性質や価値観、生き方を持つ他者とのつながりで埋めるか、日常的かつクリティカルな選択だ。
学生時代なら「怖くてまともに口も聞けない(イエスマンになる)・少しでも参加や同調を渋れば何をされるか分からない(行動の自由を失う)」といった感じの先輩・集団には、どんなに孤独で悪ぶりたくても近づかないが吉。いじられる(軽く扱われる)といじめられるの区別を失い、挙句悪ふざけから重大事故に陥りかねない。
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