広島県の16歳少女が自供した同級生の殺人事件に関する動機の連想:『友情関係の変化・崩れ』が影響した可能性

容疑者とされる16歳の無職の少女は『車で二人で灰ヶ峰の林道付近にまで行って口論となり、殴ったり首を絞めたりして殺害した』という供述をしている。16歳では自動車の運転免許が取得できないことや誰の車を使用したのかが明らかになっていないこと、殺さなければならないほどのどんなトラブルがあったのかなど、客観的な事実関係や口論の原因は曖昧である。

猛暑の影響で遺体の腐乱が激しく死因の特定も困難なようであるが、供述通りに凶器を用いない『素手での加害行為』であったのであれば、本当に16歳少女が相手が死ぬほどの攻撃・絞首を加えられるのかに疑問も残る。16歳の無職少女が単独犯でやったのか、車を準備したり殺人を実行(幇助)したりした共犯者(あるいは主犯格)がいるのか、身代わりになって誰かを庇うために自首してきたのかは不明である。

16歳男性による喧嘩・強盗などの結果としての傷害致死などの事例はあるが、16歳の女性の物理的加害による殺人というのは極めて珍しいように思う。被害者と見られる高等専修学校の女子生徒も加害者として名乗り出た無職の少女も、父親のいない母子家庭であるが、学校を中退した無職少女が『職業選択・人生の進路』といったこれからどうやって生きていくか、今の自分は何をすれば良いのかについて悩んでいた事は容易に想像される。

時代状況・雇用市場の変化も急であり、親もおそらく学校をやめた娘に『真面目に何かの仕事を見つけてしなさい』といった以上の進路の方向性を指し示すことは困難だったのではないかと思う。学校をやめた理由も、本人が学校生活・人間関係に適応できなかったり学業への意欲を失ったからであれば納得がいきやすいだろうが、家庭の事情でやめなければならなかった場合などにはどうして自分だけがという腐った気持ちにもなりやすい。

加害者・被害者の双方の経済状況などは不明なものの、『類似した家庭の境遇』を持っていて以前は親友のように仲が良かったとも報じられる二人の間に、殺意を引き起こすほどのどのような深刻なトラブルや激高・衝動を引き起こすトリガーがあったのだろうか。数千円から精々数万円の金銭の貸し借りのトラブルというのは、殺人の動機としてはあまりに弱いだろう。

あるいは別の加害者がいる可能性もあるわけだが、恋愛絡みのトラブルや特定の彼氏(男性)の存在などの話は、友人知人などからも現時点では出てきていないようだ。

高校生に該当する社会的・職能的に殆ど無力な16歳の年齢で、社会にでなければならない不安感や不利益は現代では大きいが、『殺人の自供内容(自分が主犯となって殺したという供述)』が事実であるとすれば、『親友(唯一の味方)と思っていた相手の何らかの違背行為』と『自分自身の人生の先行きに対する不安・絶望』とが相乗するような破滅的心理が働いたのかもしれない。

思春期に作られる親友関係というのは、『進路選択の違い・卒業後の環境や人間関係の変化』によっていつの間にか自然消滅したり、何らかの不一致を原因に壊れてしまうことも少なからずあるものだが、16歳くらいの発達段階では『ずっと一緒に頑張ろう・いつまでも仲間でいよう・困った時には助け合おう』といったスローガンのような友情に本心から深くコミットしてしまうこともある。

思春期前半(中学生)の友達関係は発達心理学では『チャムグループ』と呼ばれることがあるが、これは『価値観・ライフスタイルの共通性や類似点』に注目して結ばれる特定の相手との親密な関係である。『俺たち(私たち)は似ているところや同じような考え方・趣味が多いから仲良くやっていこう』とか『ずっと変わらずに仲の良い俺たち(私たち)でい続けるために、お互いを裏切らないようにしよう』とかいう特定の相手との相互依存的で凝集的な友達関係である。

チャムグループでは自分と相手とが似通った価値観を持ち、同じような人生を生きていることが前提になるので、この二人のように片方が学校を中退してしまったり進路が大きく異なったりすると、親友関係と思われていた関係は意外にあっさりと壊れてしまうことも多い。また女性同士の友人関係では、『親しい友達の取り合い』のようなことが起こったりすることもあり、『どうしてあの子と親しくするの』という嫉妬や憎悪の感情の原因になったりもする。

チャムグループから発達した友達関係が『ピアグループ』と呼ばれるもので、思春期後期(高校生)以上のピアグループになってくると、『二人の類似性』ではなく『二人の個性や生き方・価値観の違い』を受け容れることができる親友関係を築けるようになってくる。

ピアグループの親友関係になると、自分は自分、友達は友達の人生をそれぞれ責任を持って生きなければならないという『二人の間の人格・人生の境界線』がはっきりしてくる。その結果、ピアグループでは『何もかも一緒でなければならない・裏切ることは許さない』というような独占的・相互依存的な友情の要素は格段に薄らぎ、それぞれの人生や考え方を尊重できるようになる。

加害者となった16歳少女の詳しい動機は不明であるが、共犯者がいても16歳少女が殺意を持って殺したこと自体は事実であるとすれば、『学校を中退してみんなとは違う人生を歩み始めることになった不安感・不信感(あるいはそこに家庭・経済の問題も加わっていた可能性を含め)』に悩みながら、今まで親友だった子だけは『ずっと変わらずに自分に寄り添ってくれること(学校に通いながらも自分との関係・連絡も維持してくれること)』を期待したが、そういった依存的な期待やずっと変わらない親友の幻想が何らかの友達の言動によって突き崩されたのかもしれない。

唯一の心の支えと思っていた親友から、つれない冷たい態度を取られたか、今後はもう友人関係は続けられないというようなことを言われたかなどいろいろ想像はできるが、殺人が事実だとするならばその動機としては、『自分だけが社会に放り出されたというような孤独な絶望感・親友から見捨てられたと思い込む逆恨み(今までの言葉は全部嘘だったのかという激昂など)』を考えることはできるように思う。

学校をやめた自分と学校に通い続ける親友との間で開いていく距離感によって生まれる不安な心理というのは、殺人のような極端な犯罪と切り離せば、現代の若年層に多くなっている『自分は標準的な新卒採用のコース(無難なサラリーマンとしての人生設計)から外れてしまった・中退や退職などによってみんなとは違う人生を歩まざるを得ないような状況にはまった』という心もとなさやフリーター的なキャリアへの膠着とも関係するところはある。

唯一の友達関係の消滅の予感に対する孤立感や不安感、相手への憤りというのは、他者との境界線が濃くなり社会をまなざす視野も広がってくる大人になってしまうと、『居場所がなくなったように感じる思春期の少年少女』のリアルな心情を感じ取ることが難しくなる。だが、『学校・家庭・仕事(職場)・友達関係・異性関係』のすべてに自分が安心して帰属できる場所や関係がないというのは、大人にとっても犯罪はしないとしても人生を楽しめずに抑うつ的になる程度にはハードな環境ではある。