細木数子をメディアで見かける事はなくなったがもう77歳か。霊感商法・占いで稼いだ財産は莫大だが、占い師で終わりたくない野心は、やはり戦前右翼の権威だった儒教の陽明学者・安岡正篤(やすおかまさあつ)氏との関係強調に回帰するようだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/11239607/
安岡正篤という儒教・陽明学の思想家は、端的に言えば『東洋の政治哲学・帝王学の権威』で、政財界・軍部に思想的に非常に強い影響を与え、吉田茂はじめ戦後の自民党の統治理念や施政方針演説にも直接間接に関与した精神的指導者のような人物だ。『昭和最後の黒幕』とも呼ばれたが、細木数子との交流は認知症になっていたことによる判断力低下も言われているが、85歳で何十歳も年下の女性と入籍などは晩節を汚す行いの類だったようにも思える。
安岡正篤という思想家が『政財界に発言力を持つ昭和の思想的権威』であったのは確かで、本来細木数子が接近できる可能性も乏しかったが、死期が迫って相当に認知力が低下した85歳の最晩年に婚姻の約束(年齢差約40歳)を取り付け急いで提出、死後に安岡の子らが婚姻無効の裁判を起こした…生き方・野心の原点だろう。
細木数子の権威主義的な野心の凄さや女傑ぶりは、『安岡正篤』という日本近代史に間違いなく名が残る人物に、手段を選ばず強引に接近、既に弱った老人である安岡を心情的に陥落せしめ、認知症とはいえ昭和の権力中枢を動かした人物に結婚誓約書に署名させた事である。これで細木数子は形式的であれ歴史に名前を残したか。
細木数子の宗教法人買収も、安岡正篤を祀る巨大な菩提寺を約70億円で建設する布石のためとされるが、もしかすると安岡正篤と自分の名前を冠した何らかの宗教施設を建造して、物理的に堅牢・豪勢な建物と共に安岡と自分の名前を対にして残す(法的な婚姻は無効とされたがそれを建物・法人で覆す)算段があるのかもしれない。