川崎中1殺害事件の原因の一つになった『仲間内の上下関係・嫉妬感情+暇の悪用』

少年のいじめにせよ殺人にせよその根本は『他人に対する興味・干渉の過剰』と『自分のやりたい事がない主体性の欠如』で、『仲間内の上下関係+暇の悪用』が的外れな生きがい(自己確認)になってしまう。

<川崎中1殺害>切りながら「ごめん」 リーダー格が証言

この殺人事件にしても、終わった後になれば加害者達も『やらなければよかった・やる必要のなかった行為』であり、世の中で起こる多くのいじめ・虐待・傷害・殺人も逮捕後に考えれば同じ構造・心理を持つ。気に入らない他人に執拗に干渉せず自分のやるべき事に取り組めば良いが、それができない心理の偏りや他者依存がある。

別に他人をいじめようが殴ろうが殺そうが『自分の人生・存在の根本問題』は何も解決・改善しない、より表層でも『今抱える自分の欲求不満・イライラ』を解決できるのは『他人の虐待・苦しみ』ではなく『自分の興味や目的への没頭・生き方の選択』に他ならない。人生は短い、ぐだぐだと他人に甘えて構いすぎている暇などない。

ある意味では『私は私以外の何者でもない・自らの人生の選択と責任は自分にしか負えない』という冷酷な現実を恐れ、仲間内の上下関係やいじめ・犯罪・虐待で気晴らしし、他者否定の優越感で逃げているに過ぎない。自分は自分、他人は他人という現実に向き合う時、他人を否定したり羨んだり傷つける意義がないと気づく。

やりたいことが何もない、暇や退屈を悪い意味で持て余すことのリスクについて、儒教は『小人、閑居して不善を為す』と警鐘を鳴らしたりもしたが、閑居すれば悪事をしてしまう人の問題としては『自由刑の抑止効果の薄さ』もある。刑罰による禁固・懲役はやりたいことが多く自由の価値が高ければ、回避したい人生のロスとして認識されるはずなのだが……。

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