近代化・市場原理の禁断の知の果実を食った反動。『文明・技術の進歩+他者との競争・差異の承認』は他者との境界の自我を強化し、『定常型社会・共同体的連帯』に戻れなくなる。
留学生たちと語った「日本人の幸福度が低い理由」 所得以外の何が足りないのか?
近代化・工業化を成し遂げた日本人や欧米人の幸福度がなぜ平均して下がりやすいのか、端的に近代化は個人化と能力主義(能力・魅力の需給のバランス)であり、『ただそこにいるだけ・頑張っているだけの人の価値』を概ね認めず、『現状維持でのんびり生きるライフスタイル』を許さない成長の強迫観念が常にある。
世界トップクラスの売上と利益を上げているトヨタのようなグローバル市場の勝ち組の会社であってさえ、『去年と比較して今年はどれだけ利益を増やせるのか?』という市場と株主の暗黙のプレッシャーを受け続けていて、絶対に休めない(これでもう十分とは言えない不安を煽る)仕組みが資本主義には織り込まれている。
現代の先進国は、足ることを知る『知足』を容易には許さない仕組みで動いており、平均所得減少で常に頑張り続けていないと最低限の生活さえ危うい人も増えている。豊かさや人生設計から落ちる不安、人並みの平均的生活が送れなくなる相対的貧困の恐怖が『成長・努力の強迫観念』を生んで、人を不幸にしているとも言える。
前近代社会(旧制・慣習の残る途上国)は『人・村落・身分に支配される社会』であり、近代社会(現代の先進国)は『資本(市場)・雇用・カネに支配される社会』である。貨幣が強い現代は『自由・豊か』だが『孤独・不安』でもあり共同体・血縁的連帯も衰退したので雇用・資産を失った個人は自由も承認も全てを失いやすい。
近代化というのは個人を自由に豊かに賢くしていくプロセスとしての明るい側面があり、その自由とは『私を縛り付ける共同体・血縁地縁・伝統や慣習からの解放』を含んでいた。個人の努力と能力で働きカネを稼げば、好きな相手とだけつながって、人間関係と物質生活と自尊心で満足できるのが『近代化の原動力』でもあった。
だが現代の高度なハイパーメリトクラシー、先進国の平均賃金下落のグローバリゼーション、国境を超える国際金融資本などによって、『自由で豊かな都市の個人』になれる人が限定的になってしまい、平均程度の能力の人が働いても生活が苦しくなり、『そこにいるだけでもいい非能力主義の帰属・連帯の喪失感』が目立ち始めた。
めくるめく成長と持続的な収入増という近代化礼賛のドラッグが成長停滞で効かなくなってきた。多くの人が現状維持のために頑張りすぎて『燃え尽き症候群・メンタルヘルス悪化』に落ち込みやすくなっているが、『何もない人にも居場所を作る共同体・強制的な縁』は殆どなく、カネ・仕事の切れ目が縁の切れ目になりやすい。